同時代史学会2025年度大会を、下記のスケジュール・テーマで開催します。
なお、本年度は対面のみで実施します。
今年はベトナム戦争終結から50年という節目の年である。
「冷戦」と呼ばれた体制が大きく変化する重要な転換点であったこのアジアにおける「熱戦」は、多くの難民を生み、国際的な〈移民〉の歴史に新たな刻印を記すことになった。
そうした中、日本はそのベトナムを始めとした、東アジア、東南アジアに戦端を開き、地域に大きな変動を巻き起こした主体でありながら、戦後は自らが植民地化した地域からの〈移民〉については人権を軽視した対応に終始し、ベトナム難民の受け入れも限定的なものにとどまった。
ところが、バブル景気の下での労働者の不足を補うため、いわゆる「日系二世・三世」が「定住者」として日本に迎えられた。そして新自由主義の自己責任の時代において、日本の多くの人々の自衛的なライフ・スタイル選択が少子化を招来するなかで、東アジア、東南アジアから「技能実習生」の名のもとに安価な労働力として多くの人々が日本に迎えられるようになった。とはいえ、「いわゆる移民政策はとることは考えておりません」としながら実際には移民を受け入れるという政府の政治的姿勢の問題に加え、日本と各国の間の歴史問題が禍いし、多くの〈移民〉たちが不安定な身分のまま日本社会で生きることを余儀なくされたのである。
同時代史学会は、学際的に同時代を扱う学会であり、『同時代史研究第17号』でも「ボーダーコントロールの同時代史」という特集を組むなどの取り組みを続けてきたが、目下最大の問題であると言ってもいい、日本社会の「内なるグローバル化」における〈移民〉の「排除と包摂」の問題、換言すれば「多文化共生」という言説が肯定から否定へと転じているかのような昨今の問題を改めて正面から扱わなければならないと考え、従来からこの問題に取り組んできた社会学者の力を借りて、この問題の歴史的再検討と将来への視角を得ることを企図するに至った。加えて、「特別永住者」として扱われている在日コリアンや在日中国人も視野に入れ、より広い視野で戦後の日本における、国境を超えた人の移動を捉え直すことを目指すことにした。
なお、日本語の〈移民〉という用語法は、かなり不安定で、誤解を招きやすいものになっている。世界的に見れば〈移民〉(migration)は、将来的な永住を前提とした移住に限定されないし、国内における人口移動をも含む概念である。そもそも国境を超えて移動する人々には様々な背景がある。ところが日本語の〈移民〉という言葉は、政治的なコンテクストや、過去の日本からの出移民に対する情緒的な把握などが介在し、世界的に見れば特殊な、しかし一定しない、非常に厄介な使われ方がなされてしまう。とはいえこの用語法の混乱を注視することは、〈移民〉をめぐって抱え込んでいる思想/思考の上での混乱を解きほぐす糸口になるのではないかと考えられる。
そこで本年度の大会では、既に世代を重ね、複雑な階層性と交差性を有している在日コリアン社会を研究されている鄭康烈氏、ベトナム人実習生の研究を続けてこられている巣内尚子氏に報告をいただき、これにヨーロッパの移民問題に取り組んでいる上野貴彦氏のコメント、および帝国崩壊と人の移動を歴史社会学から追求しいまは難民など外国ルーツの学生支援や教育支援をおこなう団体の理事長として現場でも活動する蘭信三氏のコメント、以上の4名によるセッションを開催し、会場の出席者とともに議論を深めることとしたい。
振り返れば、当学会は既に数々の大会企画や研究会で、社会学をはじめ、人文社会科学の諸分野との交流・議論を重ねてきた。〈移民〉という課題の今日性に向き合うとき、この姿勢は重要な意味を帯びてくる。
本大会では、〈移民〉に関する現状分析を主題とする報告を行い、その内容をめぐって歴史的な射程を持ちながら議論を行う形とした。排外的な主張が繰り出される今日の状況を踏まえた上で、歴史を改めて捉え直し、思考をめぐらすことにしたい。
参加者諸氏の活発なご議論を期待する。
本報告は、戦後から現代にかけての日本社会において、在日コリアンがどのように労働市場へ包摂・排除されてきたのか、その歴史的変遷と構造的特徴を多角的データに基づき明らかにすることを目的とする。戦前・戦中期に形成されたオールドカマー移民という位置に注目しつつ、彼らと日本の労働市場制度との相互作用を分析軸として据えることで、社会制度が移民/マイノリティをいかに選別し、また一方で統合してきたのかを検討する。とりわけ、近年の外国籍人口の増加や深刻化する労働力不足の背景のなかで、長期定住型外国人の包摂が政策課題として浮上する現在、在日コリアンの経験を歴史的に読み解くことの意義は大きい。
分析視角としては、労働市場の制度的側面に着目し、二重労働市場論の枠組みなどを参照しながら、在日コリアンがいかなる労働市場区分に位置づけられてきたのかを問う。その際、供給側(労働者)にとっての帰結は、職業的地位・就業構造などの統計指標に可視化される一方、需要側(雇用者)における認識・評価・対応の変化も重要である。本報告では、両者を架橋する視点を導入し、排除の仕組みと包摂の契機がいかに交差してきたかを検討する。
用いるデータとしては、戦前・戦後に在日コリアンを対象に実施された諸統計、および2008年統計法改正後に可能となった国勢調査の国籍集団別分析を基礎に置く。加えて、1970年代の就職差別反対運動に関する資料、1990年代の日本企業人事部による認識を探るためのエスニック・メディア記事群の計量テキスト分析、さらには労働市場参入を試みてきた当事者への聞き取りデータを組み合わせ、複数スケールでの分析を試みる。
最後に近年、新自由主義的グローバリズムの進展のもと、在日コリアンの社会経済的地位は「分極化」というテーゼで描写されるものへと再編されつつある。在日コリアンの労働市場経験を定点的に観察することで、包摂と排除が時代的背景や階層構造とともに併存してきたダイナミズムを描き出すことを目指す。
本報告は2014年以降、報告者が実施してきた移住労働経験を持つベトナム人へのインタビュー調査と、2020年以降の移民支援活動への参与観察で得た知見をもとに、ベトナム—日本間の移住の構造において、ベトナム人女性の性と生殖に関する健康と権利(SRHR)が制度的・構造的にはく奪されていることを明らかにするものである。
ベトナム政府は2000年代以降、日本、台湾など東アジア諸国への移住労働者送り出しを活発化させている。これはベトナム政府の貧困削減政策の一環で、ベトナム政府は海外への労働者送り出しを「労働力」輸出、送り出し先の国を「市場」と位置づけながら、数値目標を設定し、自国民の移住労働を推進する。一方の日本は1990年代に外国人技能実習制度を開始し、多様な産業部門にアジア諸国を中心に移住労働者を受け入れてきた。ただし、技能実習制度においては技能実習生に対する人権侵害事案が後を絶たず、妊娠を理由に技能実習生の女性が解雇されたり、技能実習生の女性が孤立出産に追い込まれる事件も起きている。
以上の背景を踏まえ、本報告は、とりわけ移住を促進させ、条件付ける移住の構造として、移住インフラストラクチャー理論をもとにした搾取のインフラストラクチャー理論を用い、送り出し地から日本への移住の軌跡において、どのようにベトナム人女性が非人間化され、SRHRをはじめとする基本的権利がはく奪されるのかを示す。とくに技能実習制度と特定技能制度を通じて来日するベトナム人女性の移住の軌跡とSRHRの関係を明らかにする。
一方、ベトナム人女性たちはSRHRを制度的・構造的にはく奪されながらも、サバルタン・エイジェンシーを発揮し、さまざまな方法でSRHRのはく奪に対抗する。個人の水準では帰国をすることで日本に見切りをつけて、出身地での安全な妊娠、出産を目指す女性がいることが明らかになった。さらに、労働組合など日本社会が持つ支援の資源にアクセスすることで問題解決を図る女性も存在する。