※当初のアナウンスより一部追記・修正があります。追記・修正箇所は下線で示しています。
本大会から、大会参加者(同時代史学会会員に限ります)に対して一人3000円の補助を支出することになりました。託児補助制度の利用は、大会前日までの申込制となりますので、必ず、下記の担当までご連絡ください。追って、担当者から必要な手続き(領収証等の提示)について連絡させていただきます。
会計担当 高柳友彦 tyanagi ★ econ.hit-u.ac.jp (★ を @ に置き換えてください)
30年前、冷戦体制が崩壊し、日本では昭和が終焉を迎えた。だがその後の展開は、30年前に抱いたかすかな希望を大きく裏切るものだった。過去の戦争や植民地支配をめぐる議論でも、1990年代初頭は、史実の新たな解明と、それによる責任追及や関係改善が期待されていた。アジアでは経済発展や民主化が始まり、それまで声を挙げられなかった人々が声をあげ始めていた。日本でも、元「従軍慰安婦」女性による告発や新史料の公開により、植民地主義やジェンダー秩序の折り重なる戦争被害の実態について、見直しが急速度で進んだ。だが90年代は、ナショナリズムの言説や排外主義が、歴史の見直しを否認すべく簇生した時代でもあった。そのような対抗関係は、やがて、〈戦争の記憶〉とよばれる広大かつ新たな質の問題領域を形作った。一方で、戦争の表象が国民国家や民族を単位としてますます絶対視され、メディア環境の激変とあいまって、人々の情動を掻き立てる装置となった。他方、学問研究においても、史実の実証如何とは別の次元で、社会における「記憶のされ方」それ自体が、新たな分析の対象となってきた――いずれの場面でも、歴史研究(者)は、もはや不要となっているかのようだ。
同時代史学会では、このような状況の変化を意識しつつ、近年のナショナリズムや排外主義の興隆、あるいは戦争認識の変化等について、大会シンポジウムの主題としてきた。だがそこで対象とされた〈戦争の記憶〉をめぐる現象は、あくまで歴史研究の外側にある分析の客体としてあった。しかしながら、私たちもまた〈戦争の記憶〉をめぐるここ数十年の大きな変化のなかで研究をしている以上、変化と無縁ではありえない。ならば、〈戦争の記憶〉をめぐる変化のただなかで、それに向きあって同時代史を描き直す試みは、どのような挑戦を重ねてきたのか――今回は、そうした軌跡そのものを、一箇の同時代史として検証したい。
その際、次の二つの点に注意しておきたい。
第一に、冷戦後の変貌を捉え直すためにこそ、それ以前、おおよそ1970年代頃から始まったさまざまな模索をふまえて〈戦争の記憶〉に向きあう試みを意味づけ、評価する必要がある。
現代史研究の分野では、1970年代以降、空襲記録運動や朝鮮人強制連行に関する史実の掘り起こしなど地道な活動が実を結び、南京事件や沖縄戦などに関する戦争責任研究も提起され始めた。また1960年代後半に生じた近代的学問方法の問い直しを承けた新たな歴史研究の試みが、たとえばオーラル・ヒストリーによる歴史叙述といったかたちで、成果を生みつつあった。ところが1990年代半ば以降、歴史修正主義の広がりや実証的方法に対する認識論的な批判など、新たな論争の局面が生まれると、上記のようなそれ以前の取り組みが持っていた可能性や課題については省みられなくなった。90年代以降の〈戦争の記憶〉をめぐる問題構成を前提にして過去を振り返ろうとすると、十分には検証できない断層がそこに生じてしまう。
むしろいま必要なのは、90年代の認識論的な転換以前の多様な模索が、90年代以降の新たな状況に対峙して、いかなる継承や更新を可能にしたのかを検証することで、新たな同時代認識を獲得することではないか。具体的には、当該期に戦争や植民地支配の同時代史を捉えかえした試みを俎上に上せ、それをこの30年の、いわば新自由主義時代の同時代史のなかに位置づける試みが求められるだろう。
第二に、そのような〈戦争の記憶〉をめぐる状況の変化に批判的に向きあって同時代史を捉え直す試みは、いわゆる歴史研究に限らないどころか、むしろそれ以外の領域においてこそ、活発だった。したがって、歴史叙述というよりも、とりあえず歴史表現とここで名指す多様な媒体と方法にもとづく歴史の表現行為を視野に収める必要がある。
以上のような問題関心にそって、今回は以下の構成で大会シンポジウムを企画した。
まず、1980年代からオーラル・ヒストリーを用い、近年では現代史叙述のための聞き取りや叙述の方法について提言を続けている大門正克氏に、同世代の杉原達氏の歴史研究の軌跡を主な対象として、同時代史叙述の可能性について論じていただく。ドイツ経済史から出発した杉原氏の1980年代の「ドイツ帝国主義の社会史」を通じた模索が、90年代以降の『越境する民』、『中国人強制連行』といった仕事にどのようにつながるのか。また、その著作を通じて杉原氏が対峙した歴史意識や状況とは何であったのかが捉えかえされる。
ついで戦後日本のドキュメンタリー映像に表れた韓国・朝鮮という他者イメージの変遷について分析を続けてこられた丁智恵氏に、映像による歴史表現において、1990年代にいかなる革新が可能であったのかについて論じていただく。その際、そのような革新を生み出したドキュメンタリー番組に携わる人々が、1970年代以来のメディア・言論状況のなかでいかなる模索を続けたのか、その成果と制約とが、いかに映像表現の水準で反映されているのかが、明らかにされる。
加えて、2報告が対象とした当時の試みが置かれた歴史的条件や文脈についてさらに掘り下げるため、次のお二人からコメントをいただく。岩崎稔氏には、記憶論や〈戦争の記憶〉研究の国際的な広がりとの比較の観点からコメントをいただく。また源川真希氏には、新自由主義下の市民主義の変容や右傾化といった〈戦争の記憶〉の変容と並行する現象をふまえて、政治史の観点からコメントをいただく。
以上の報告とコメントを得て、当日は、以下の観点で議論を深めてみたい。〈戦争の記憶〉をめぐる1990年代以降の状況に批判的に対峙する歴史表現は、①既存の歴史研究や戦後の価値観を批判して、どのような叙述を生み出せたか、②それは新自由主義の深まりゆく同時代に対してどのような意味の対抗でありえたか、③それらの歴史表現は〈戦争の記憶〉をめぐる問題関心の大きな変容に対して、どのような質の応答でありえたか、④そのような試みから、私たちはこの30年の同時代史を描くための視座をいかに養い、鍛えられるか――このような論点について、会場全体で議論を交わすことで、冷戦体制の崩壊、昭和の終焉から30年というこの地点の位置と意味を測り直す手だてとしたい。
1970年代から90年代にかけて、日本のアジアにおける戦争が同時代及び戦後にもたらした影響の大きさにいち早く気づき、議論を重ねた研究者として、私は、内海愛子、吉沢南、杉原達に学ぶことが多かった。3人のなかで、吉沢については論じたことがあり、今回は杉原をとりあげる。80年代にドイツ帝国主義の社会意識(帝国意識)研究から出発した杉原は、その後、在日朝鮮人史と中国人強制連行に研究テーマを拡張した。杉原は、「越境」や「経験」を手がかりにして、アジアにおける戦争を問い直し、近代と知のあり方を再考してきた。報告でめざすのは、①杉原の研究過程を同時代史的に検証することであるが、②その際に杉原は、歴史における空間と時間の認識が決定的に重要であるととらえ、「越境」による空間認識の拡張と「経験」による時間認識の拡張を図ったことに留意したい。<戦争の記憶>をめぐる同時代史の歴史表現を考えるうえで、空間と時間の認識は枢要点と考えられるので、この点で議論を提供したい。
20世紀において映像メディアは国民的記憶に大きな影響を与え、戦争や植民地支配に関する記憶を形成する上でも重要や役割を果たした。メディアでは、長年「国家の記憶」から排除されてきたアジア・太平洋戦争や植民地主義の被害者としての韓国・朝鮮人は、90年代頃には冷戦崩壊とアジアの民主化、昭和の終焉などが重なり大きく取り上げられるが、その後右派・保守派の巻き返しを受け状況は後退し現在にまで至る。
本報告では、1960年代から90年代頃までのNHKと民放のテレビ・ドキュメンタリーに着目し、アジアの戦争被害や植民地支配に関する表象を韓国・朝鮮を中心テーマとして描いているものを抽出し分析する。この分析により戦争の語りの内容や主体がどう変化し、その時代の日本人が過去について何を記憶し何を忘却しようとしていたのかを明らかにする。さらには、これまでの変遷を辿ることにより、近年の停滞している状況について再検討する手がかりを得ることを目指す。