同時代史学会2023年度大会を、下記のスケジュール・テーマで開催します。
※昼食をご持参ください。
当日は土曜日のため学内食堂(生協)は閉まっており、また大学の周囲には食堂がありません。昼食については、少し歩いたところにあるコンビニでご購入いただくか、事前にご用意いただくように御願いします。もちろん、国分寺の駅前まで戻られると、食べる場所には困りません。
今年度の同時代史学会大会は、午後の全体会、および総会のみ、ハイブリッド開催します。
自由論題報告については、オンライン配信は行いませんのでご了承下さい。
オンラインから参加される方は、12月7日(木)までに、下記のフォームから登録して下さい。(メールニュースでご案内した申込締切を延長します)
※会場においでになる方は、登録は不要です。
ZOOMのIDは、大会・総会の当日までに、【同時代史学会2023年大会(gakkaitaikai+2023doujidaishi ★ gmail.com)】よりお送りします。
※オンラインでの大会への参加は、同時代史学会会員、および会員の紹介がある方に限定します。
※オンラインでの総会への参加は、同時代史学会会員に限定します。
【大会参加登録フォーム】
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf2BCI67WAEZpObHdLvaOOs8G2oQ3K109tqzOfv5b6tlCMegA/viewform?usp=sf_link
本年度は1973年に水俣病第1次訴訟の熊本地裁判決が出て50年の節目にあたる。そこで、同時代史学会では、「安定化させる力学とかき消されていく声ー1973年以降の水俣から考えるー」と題して大会企画を組んだ。
2002年に設立された同時代史学会では、すでに2008年に「消費からみる同時代史」と題して、高度経済成長期の消費生活と公害問題のあり方について論じた。また、本年度5月に開催された歴史学研究会の現代史部会では、「社会運動と環境・民主主義― 新自由主義時代の民衆像を求めて―」と題する企画が組まれている。他方、1990年代から活動を続けている水俣フォーラムがこの秋「水俣・福岡展2023」を開催したほか、今月は2013年に発足した「公害資料館ネットワーク」のシンポジウムも予定されている。
これらをふまえ、本企画では熊本地裁判決後の「水俣」について、被害者やその家族のその後の「生」のリアルや地域社会の実像をていねいに拾いながら、「かき消されていく声」を考察したいと考えた。その含意は以下の通りである。
ある段階で社会的に喚起されたり再喚起されたりする問題は、そのつど「安定化」させる力学にさらされ、さまざまな現場の「声」がかき消されていく。今日の原発問題をはじめ、戦争や震災からの「復興」といった過程にも、同様の現象が見られるだろう。この「安定化」に関わる動きは多元的で複合的である。加害企業や行政による動きもあれば、メディアや一般的な世論の動きもある。地域社会内部でのさまざまな人間関係によってもそれはもたらされるだろう。大量消費社会や新自由主義によって痩せ細っていく公共圏の問題もある。アカデミズムや教育現場の関与も否定できない。
1950年代に「奇病」として顕在化した水俣病は、1959年に新日本窒素肥料株式会社(以下チッソ)の工場排水による有機水銀中毒であることが熊本大学医学部の研究班によって特定されたが、行政やチッソの妨害などから被害者の訴えは封印された。1960年代後半に全国的に反公害の機運が高まるなか、1973年の熊本地裁判決によりチッソの加害責任が確定するが、それ以後も、補償協定をめぐる直接交渉が行われたほか、環境庁(当時)の定めた認定基準をめぐる未認定患者の問題は現在も係争中である(9月27日 大阪地裁判決)。その間、「水俣病関西訴訟」で国や県の行政責任が問われるなか(2004年10月15日最高裁判決)、国家による「和解」や「救済」にむけた取り組みがある一方で、水俣では市民同士の分断を修復する「もやい直し」の試みが1990年代以降取り組まれてきた。
そうしたなかで水俣のローカルな現状は、ともすると美化され神話化される。その傾向は、アカデミズムの良心的な研究活動にも内在しうるし、「水俣を教える」という場面においても、無視できない傾向としてあるだろう。過去の問題を現在の問題に直結させて考える「非歴史的思考」の陥穽もある。リアルな(そして歴史的な)「人間」の存在がともすれば軽視されるこれらの傾向に対して、私たちはまず、生身で等身大の「水俣」が1973年以降も存在するという当たり前の事実を再確認したいと思う。そこには、被害者同士の軋轢や葛藤も当然含まれよう。そうしたローカルな視点を見失うことで、「安定化」させる力学に対して私たちは無防備となる。今回の大会では、被害者や地域社会の実像を美化することなく提示し、「かき消される声」や「安定化する力学」の具体像を1973~1990年代を軸に検討したいと思う。
そこでまず井上ゆかり氏には、「一次訴訟判決後から現在までの水俣病被害当事者の『かき消されゆく声』」と題して、1973年以降の「かき消されていく声」の実状を、女島の漁民やチッソ労働者の視点、また現在の胎児性世代の訴訟や認定されない被害当事者の状況などを中心に紹介していただく。これまで多くの患者さんに接してこられ、「人間の営みを中心とした理論形成」を志してこられた井上氏に、さまざまな立場をふまえた生のリアルを見据え、「安定化」させる力学にさらされた現場の視点から問題提起していただく。
また、原子栄一郎氏には、「水俣病を環境教育として取り上げることにおいて、緒方正人さんを考材とすることによって何がもたらされるか? 私の大学環境教育実践から」と題して、ご自身が経験された研究上の転回をふまえ、「チッソは私だ」という緒方正人さんの「魂」の視点から論じてもらう。緒方さんの視点は、加害企業や行政を免罪しかねない危険性があるものの、その視点を抜きにした社会批判もまた表面的なものになりかねない。水俣病事件を環境教育として取り上げるさい、その視点をいかに活かしたらよいか。ご提案いただければと思う。
これら2つの報告をふまえ、患者支援団体である水俣病センター相思社の元職員・遠藤邦夫氏には、本企画担当者である及川英二郎との「対談」を通して、主に「もやい直し」に至る経緯やその歴史的意義について、「集合的トラウマ」の両義的側面などに着目しながら論じていただく。活動家として、また支援者として関わってこられたご経験をふまえ、社会運動のあり方やその限界について論点を提示していただければと思う。
「安定化」させる力学がいまもなお作動ししつづけるなか、水俣が発信する問いは何か、それはどのようにして受け止められるべきか。「水俣」を論ずるさい、「公害」一般のなかでそれを普遍的に思考する視点とともに、その固有性を注視し、個々の「人間」に立脚点を見出しながら、「公害」だけではない他の諸問題とリンクさせて思考する視点が同時に求められよう。これら2つの視点は、せめぎ合い、かつ共存することで、より生産的な知見が得られるはずである。フロアからの積極的な参加を期待したい。
1973年の水俣病第一次訴訟判決から今年50年を迎えた。この判決では加害責任と一時金の賠償命令のみであったため、患者がチッソと直接交渉し現在の補償協定内容になった。翌年には認定申請患者協議会が結成され、いわゆる未認定患者総申請運動が始まり、係争課題は加害責任追及から水俣病かどうかに変わっていった。こうしたなかで幾度も被害当事者は声を上げ続け勝訴し、結果として国は1996年の水俣病総合対策医療事業から2005年、2009年と3度「チッソとの紛争状態の終結」として「行政責任は今後追及しない」ことを条件に和解施策をとってきた。しかし、この和解は必ずしも被害当事者側が望んだ形ではなかった。
2023年9月27日に水俣病不知火患者会近畿訴訟大阪地裁判決で原告全員を水俣病と認める司法判断が下された。同訴訟の熊本や東京での判決も控え、さらには第二世代訴訟、また新潟の二次訴訟も続いている。事態が長期化するのは、 訴訟で原告が勝訴すれば潜在していた被害当事者が新たな認定申請者として増加するという状況が50年も続き、その反面、地元ではこれまでの和解が「水俣病ではないのに一時金を貰っている」という地域内での差別を生み出し、申請が抑制されていたからにほかならない。
一方、水俣市議会の議会運営委員会は2019年に水俣病問題を審議する「公害環境対策特別委員会」の名称から「公害」を外す議案を可決し、2023年百間排水口の樋門撤去工事が突如発覚し被害者団体の抗議行動が起こった。水俣市長は「ここまで注目されるという認識はなかった。」と地元新聞の取材に答えている。 権力が公害への強い圧力を示す水俣において、被害当事者が声を上げ続けることは、その声をかき消そうとする圧力との闘いでもあった。一次訴訟原告は「人間としての復権」、いまの第二世代訴訟原告は「胎児性世代、不知火海沿岸住民を代表する闘い」だと表現する。
この報告では、故原田正純らと地域に入り調査研究をすすめてきた経験を踏まえ、漁民やチッソ労働者らの現状と「かき消す」力とは何か、さらに研究者としての中立とは何か考えてみたい。
参考:井上ゆかり『生き続ける水俣病:漁村の社会学・医学的実証研究』(藤原書店、2020年)
現代環境教育の世界標準は、ESD(持続可能な開発のための教育)である。その根本課題は、「持続不可能な社会を支えている教育を考え直し、その向きを変えること」である。環境教育を担う者にとって、これは避けて通ることができない課題である。
報告では、私の大学環境教育実践の試みを紹介する。実践では、教育にかかわる一人ひとりが自分を棚上げにしないで、自分のこととして根本課題を受け止め、<この私>はどこから来たのか、<この私>は何者か、<この私>はどこへ行くのかを、自分を振り返り、よく吟味し考えてみることを基本方針としている。このもとに、持続不可能な社会を象徴する水俣病を取り上げて、「一人の人間」として、いろいろな立場から水俣病に深く長くかかわった人(たち)に着目し、その人(たち)に関する文字資料を読み、映像資料がある場合には視聴して、その過程で<この私>は何をどのように感じたり、思ったり、考えたりしたか、自分の心の消息を綴り、クラスメートと共有し議論するワークを行っている。
緒方正人さんは、このシリーズ「水俣病から考える」ワークの中で扱う「一人の人間」である。
報告では、大学環境教育実践の概要を紹介した後、緒方さんの「魂のゆくえ」(栗原彬編『証言 水俣病』岩波書店、2000年)をテキストにして彼の来歴をたどる。その際、来歴の中に見て取ることができる「転生」と呼びうるような生の質的転換、特に「魂」の境地への到達と、それを引き起こした出来事や事情に注目する。その上で、2000年代半ばに研究上の「自己分裂」を引き起こしていた私に与えたインパクトを含め、水俣病を手掛かりにして現代環境教育の根本課題に取り組むことにおいて、緒方さんを考材とすることによって何がもたらされるか、現代環境教育の根本課題、人間として生きる、水俣病のとらえ方、環境教育のパラダイムなどとのかかわりでお話ししたいと思う。