27
9月

同時代史学会2020年度大会 自由論題

同時代史学会2020年度大会 自由論題

*報告者氏名の50音順。各報告は、①報告タイトル、②報告者(所属等)、③概要の順で掲載しています。

① 美化されたBC級戦犯:映像テクストの変容に着目して

② 賀茂道子(名古屋大学大学院環境学研究科)

③ BC級戦犯には、人違いもしくは上官の罪をかぶって処刑されたといった「悲劇」「不条理」のイメージがつきまとう。こうしたイメージの形成には、戦犯の遺書や映像での戦犯の描かれ方が寄与したと考えられる。とりわけ「私は貝になりたい」はこれまでに4 度も映像化され、最もBC級戦犯のイメージ形成に貢献したとされている。本発表では、「私は貝になりたい」および、他のBC級戦犯を主人公とした映像の分析を通して、BC級戦犯の設定がステレオタイプ化されていること、映像テクストが時代によって共通の傾向を持っていることを指摘する。そのうえで、商業映像は視聴者からの受容が求められることから、BC級戦犯映像のテクストには日本人の戦争観や戦争の罪に対する意識が反映されていると考え、そこから導き出される日本人の戦争観の変化、および戦犯が美化された背景を考察する。

① 産業別労働組合と演劇サークル:全損保大阪地経演劇部から劇団大阪へ

② 長島祐基(公益財団法人日本近代文学館)

③ 日本の労働組合の特徴として企業別組合が多い点があげられる。その中で労働組合を基盤としつつ、労働組合とも異なる共同性を作り出したのが1950年代のサークル運動である。本報告では産業別労働組合の演劇サークルである全損保大阪地経演劇部と、その流れを組む劇団大阪の結成過程に着目し、労働組合とサークル活動の関係、その中での企業の枠組みを超えた共同性の創出、1960年代以降の演劇運動の担い手や運動形態の変化を検討する。全損保大阪地協演劇部は企業を越えた演劇サークルとして結成され、職場や家制度の問題を描いた作品を発表した。1960年代以降は労働紛争や企業間競争が激化し、職場での演劇創造は困難になったが、その中で新たな担い手が現れ、金融系労働者と結びつき、劇団大阪が結成された。一連の流れを検討することはサークル運動研究に加え、企業別労働組合に着目してきた労働組合研究に対しても資する点があると考える。

① 戦後日本の「性教育」論:医師安藤畫一を中心に

② 松元実環(神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程)

③ 本研究は、まず、戦後初期の日本の性教育に関する歴史的研究において「性科学」視点の不足を指摘する。次に、当時の性科学の議論に頻繁に登場する医師安藤畫一の言説から、その思想的背景を考察する。戦後初期の性教育に関する歴史的研究は主に、1947年から1972年にかけて行われた「純潔教育」を分析の中心とし、先行研究は、性売買と純潔教育の関係を扱う女性史や教育史に偏る。しかし、実際は、同時代の性科学領域にも類似した議論が存在した。本研究は、医師安藤畫一に着目する。産婦人科医で、戦後は純潔教育委員会や日本性教育協会に所属した安藤は、教育現場の性教育に携わる一方、医療をはじめとする幅広い領域で「性」について言及した。先行研究は、安藤を教育者として扱うことが多かったが、性科学領域での議論を見ると、従来の研究で重要視されてきた教育的立場とは異なった思想を持っていたようだ。これらを明らかにするために、著書を中心に性科学領域の議論を見ていく。

14
9月

同時代史学会2020年度大会 趣旨文:「教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~」

趣旨文:「教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~」

 復古と革新の対立として始動した戦後日本の教育は、高度経済成長期に強まった画一化を経て、1990年代以降、新自由主義的な競争原理と復古的要素を加味した国家管理との競合となって現れている。そのなかで、人間を交換可能な部品に仕立て上げていく規律化の勢いは弱まる気配がない。

フーコーが指摘したように、規律化は日常的な場面で蓄積され、学校や兵営・工場・病院などで組織化される。その前提は徹底的な分断であり規格化である。そのうえで個々の部品を関係づけ、連動させ、有用化することが目ざされている。もちろん、全ての個が思惑通りの「部品」となるわけではない。

 今日、現在進行形で展開する新型コロナウィルスへの対策は、まずは密集することを禁止し、群れを寸断することから着手された。しかし、経済界にとってこの現状が決して好ましいものでないことはいうまでもない。人間を部品として規律化するのであれば、部品同士をつなげ・連動させ・生産力を増強しなければ意味がないからである。分断された現状それ自体は決して歓迎されるべきものではない。分断の効果を適度に見定めた暁には、新型コロナウィルスの「克服」が叫ばれ、「新しい生活様式」のもと、部品同士をスムーズにつなげ、生産活動へと再編していくだろう。それは、規律化の最前線である教育現場に何をもたらすだろうか。この問題は、歴史教育に限定された問題ではない。

 経済界の要望から今後、教育現場ではこれまで以上にさまざまなことが「規格化」されていくことが予想される。学習指導要領を機械的にノルマ化した教室では、子どものニーズは徹底的に無視され、新学習指導要領が強調する「主体化」は、規律化の新たな口実になりかねない。子どもの主体性はますます軽視されていくだろう。例えば、道徳教育における「思いやり」や「命の大切さ」を高唱することが、人権教育を迂回した規律化のツールになり、児童・生徒だけでなく、そこで働く教員たち自身が相互に監視し、不信感を募らせ、顔色をうかがい忖度する世界が展開する。そのなかで、子どもたちの尊厳を守るにはどうしたらよいだろうか。そして、生き生きとした人間性を育み、自立した個人と個人とが共生する成熟した社会を目指す心ある教員たちの取り組みを、ともにエンパワーメントするにはどうしたらよいだろうか。

 同時代史学会では、新型コロナウィルスの影響が教育現場にさまざまなしわ寄せ(および“可能性”)を刻印するなか、「コロナ後(とされる段階)」に予想される暴力的な展開(経済界主導の弱者切り捨て)をふまえ、その状況にいかに抗うか。コロナが可視化した“可能性”にも注意深く目配りしながら、そのしわ寄せを受ける立場に着目することで考察したいと思う。

 まず杉田真衣報告「若者の労働と生活から見た学校」では、すでに多様性が著しく減退した学校現場にあって、格差社会が子どもにどんな影響を与えてきたか。女性と貧困というテーマからこの点を追求されてきた同氏に、新型コロナウィルスの影響もふまえ、またその他の教育的な現状もふまえて報告していただく。

 河合隆平報告「学校教育における障害者の排除と包摂」では、特別支援教育の現状(+同時代史)を報告していただく。コロナでの分断・ソーシャルディスタンス・新しい生活様式は、「ふれあい」を前提にした「障害者」への教育に反している。これは、「障害者」に限らず、さまざまなケアワークにあてはまることだが、同時に「障害者」が「規格化されない身体」(=規律・訓練の対象外)を生きていることを踏まえれば、コロナ後に予想される経済界の攻勢が真っ先に排除するのも障害者であるはずだ。2016年7月に相模原でおきた殺傷事件の論理は弱まることはないだろう。コロナによって「障害者」の概念も変わり、「総障害者化」するとも言われているが、それが経済界との関係でどう展開するか。

 コメンテーターには、飯吉弘子氏と大内裕和氏にお願いした。飯吉氏には、高等教育卒業者への(大企業を中心とした)経済界ニーズとそこから浮かび上がる社会(構造)変化・時代変化について論じてもらう。大内氏には、今日の教育現場の状況や予想されるコロナの影響をふまえつつ、近現代史の長期的な見通しを論じていただく。

 規律化される“部品”は、個々の“部品”が対象化されるというよりも、その規範から逸脱する者を際立たせることで規格化される。「規律・訓練の体系のなかでは、子供の方が成人よりもいっそう個人化され、・・・・犯罪非行者が普通人および非―犯罪非行者よりもいっそう個人化される」(『監獄の誕生』195頁)。規律化される「普通人」は、「ぼかし」効果によって均質化されるのであり(同書187頁)、ピントが合わせられるのは、つねに、そこから漏れ落とされる側である。それにいかに抗うか。有意義な議論ができればと思う。