21
11月

2020年度同時代史学会大会 参加登録のご案内

 2020年度同時代史学会大会を、下記のスケジュールで開催します。

 詳細は、ホームページ(http://www.doujidaishi.org/annual_meetings/2020.html)をご覧下さい。

 今年度の大会はオンライン(ZOOM)開催になります。

 参加を希望される方は、12月6日(日)までに、下記のアドレスから参加登録を行って下さい。大会当日までに、メールにてZoomのIDをお送りします。

 なお、参加は、同時代史学会会員、および会員の紹介がある方に限定します。

【大会参加登録フォーム】

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScACNOBf8Og3MVvnoDhSwYhU2VjOq-znVWiL5R_kx01qJ2WOQ/viewform?usp=sf_link

タイムスケジュール

9:30 ZOOMアクセス開始

10:00~13:30 自由論題(報告者3名)

第1報告 10:05~11:10

 賀茂道子(名古屋大学大学院環境学研究科)

「美化されたBC級戦犯:映像テクストの変容に着目して」

第2報告 11:15~12:20

 長島祐基(公益財団法人日本近代文学館)

「産業別労働組合と演劇サークル:全損保大阪地協演劇部から劇団大阪へ」

第3報告 12:25~13:30

 松元実環(神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程)

「戦後日本の「性教育」論:医師安藤畫一を中心に」

*報告40分+質問受付5分+討論20分、時間は多少前後することがあります。

13:30~14:00 休憩・昼食


14:00~18:00 全体会

教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~

杉田真衣(東京都立大学大学院人文科学研究科人文社会学部

「若者の労働と生活から見た学校」

河合隆平(東京都立大学大学院人文科学研究科人文社会学部

「学校教育における障害者の排除と包摂」

コメンテーター 

飯吉弘子(大阪市立大学 大学教育研究センター)

大内裕和(中京大学国際教養学部教養教育研究院

18:15~19:00 総会

28
10月

同時代史学会2020年度大会:報告概要

若者の労働と生活から見た学校

杉田真衣

 新型コロナウィルス感染症の拡大が人々の生存を脅かしている。このことを示す一つが、自殺者数の増加である。8月の1か月間に自殺した人は昨年よりも16%増加し、うち男性は6%増であるのに対して、女性は40%増となっている。女性の中でも30代以下が74%も増加しており、とりわけ若い女性の自殺が増えている(「30代以下の女性の自殺 去年比74%増加 新型コロナの影響も」NHKニュース2020年10月2日https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201002/k10012644561000.html)。若年女性を支援する団体であるBOND プロジェクトが公式 LINE 友達登録者の若年女性950人を対象として2020年6月に実施した調査では、外出自粛や休業要請の影響で「体・心のこと」に関して困ったことをたずねる質問に対し、「消えたい、死にたいと思った」と回答した人が69%いた(特定非営利活動法人BOND プロジェクト『10代20代女性における新型コロナウィルス感染症拡大に伴う影響についてのアンケート調査報告書、2020年』)。

こうしたデータに表れている生存の危機の背景には、新型コロナウィルス感染症拡大の影響で休業となった者に女性、中でも非正規雇用労働者の女性が多い状況があると推測される。政府としても現状を把握するために、2020年9月に内閣府男女共同参画局内に「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会」を設置しており、この間の運動の成果もあって、女性が直面している困難は政府としても看過できない問題になりつつある。

 注意すべきは、これまでも指摘されてきたように、新型コロナウィルス感染症が拡大するよりも前から、少なくない若者、特に若年女性が、生きていけるという展望を見出せずにいたことだ。たとえば報告者がおこなってきたインタビュー調査では「できれば30歳になる前に死にたい」と話す若年女性に出会っており、支援者からも同様の声が報告されている。その意味で、現在の若年女性の苦境は、コロナ禍によってもたらされたものではない。問題の背景に1990年代後半以降の若者の〈学校から仕事へ〉の移行の大きな変容があることは間違いなく、その変容はとりわけ貧困家庭で育つ女性たちに深刻な状況をもたらした。と同時に、2000年代以降の学校教育の性格変容によって、苦境に陥っている子ども・若者へのケアが一層困難な状態になっている。

 本報告では、こうした以前からの社会変容と、現在直面している新型コロナウィルス感染症拡大の両面から、学校現場のありようが若者、とりわけ若年女性の困難を深刻化させている状況について考察する。

学校教育における障害者の排除と包摂

河合隆平

本報告では、こんにちの学校において「インクルーシブ教育」が強調されるほど、障害児の排除が進行し、障害児教育の自律性が解体させられていく特別支援教育の現状を扱う。2006年の特別支援教育の制度化以降、障害児学級・学校、通級指導教室の在籍者数は激増傾向にある。これを通常教育からの「排除」と批判するとしても、欧米に比して日本の障害児学級・学校在籍率は低く、通常学級は「インクルーシブ」である。しかし、その実態は公的支援のないままダンピングされた「エクスクルージョン」にほかならない。この事実を差し置いて、経済界が求める「誰も取り残さない教育」(ダイバーシティ&インクルージョン)」を推進すれば、障害児の固有のニーズは差異と多様性に埋没させられていくだろう。文科省の「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」は、通常学級での共学共習を推進するために特別支援学級在籍児童について「ホームルーム等の学級活動や給食等」を「通常の学級」において「共に行うこと」を「原則」とすることを提起している。それは、通常学校において障害児が集合的アインデンティティを形成するために必要な自治的な生活と学習集団を奪うものであり、特別支援学級教育の自律性・固有性を縮減させ、その教育を通常教育の補完機能へと矮小化させることを意味する。

特別支援教育には、Society5.0にむけて「多様な子供たちを誰一人取り残すこと」は許されないことを肝に銘じて、障害児に職業労働に従事する「能力」が期待できなくても無為に生きるのではなく、何らかの「能力を発揮し、共生社会の一員として」分相応に貢献できる「資質・能力」を育成することが要請される。この間、文科省は「雇用」「文化芸術」「スポーツ」「高等教育」等の重点分野を設定した「障害者活躍推進プラン」を打ち出している。障害者に対する社会貢献の要請は、人間を生産性や効率性ではかる価値観の反映といえる。個人が「権利としての教育」を「享受」することを介して社会に「効果的に」作用する仕組みが障害者権利条約のいう「インクルーシブ教育」だとすれば、障害児に活躍や貢献を強要する教育は、もっぱら社会の要請に教育を従属させ、障害児の排除を帰結する。

報告では、障害児からみたインクルーシブ教育の実践と理論の核心が、通常教育の排除性を規制しつつ、障害児教育の自律性と固有性の確保にあることを示す。

21
10月

同時代史学会2020年度大会 予告(修正)

 今年度の同時代史学会大会を、下記の日程で実施します。
 新型コロナウィルスの感染拡大状況を見据え、本年度はオンライン開催とさせていただき、ご参加いただくみなさまには、ネット上の安全確保のため、事前登録制とさせていただきます。

 登録については後日当ホームページ、また、本学会メーリングリストにて告知させていただきます。

大会日時:2020年12月13日(日)(午前に自由論題報告、午後に全体会の予定)
全体会テーマ「教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~」
大会特設ページに趣旨文と自由論題報告の概要を掲載しました。

27
9月

同時代史学会2020年度大会 自由論題

同時代史学会2020年度大会 自由論題

*報告者氏名の50音順。各報告は、①報告タイトル、②報告者(所属等)、③概要の順で掲載しています。

① 美化されたBC級戦犯:映像テクストの変容に着目して

② 賀茂道子(名古屋大学大学院環境学研究科)

③ BC級戦犯には、人違いもしくは上官の罪をかぶって処刑されたといった「悲劇」「不条理」のイメージがつきまとう。こうしたイメージの形成には、戦犯の遺書や映像での戦犯の描かれ方が寄与したと考えられる。とりわけ「私は貝になりたい」はこれまでに4 度も映像化され、最もBC級戦犯のイメージ形成に貢献したとされている。本発表では、「私は貝になりたい」および、他のBC級戦犯を主人公とした映像の分析を通して、BC級戦犯の設定がステレオタイプ化されていること、映像テクストが時代によって共通の傾向を持っていることを指摘する。そのうえで、商業映像は視聴者からの受容が求められることから、BC級戦犯映像のテクストには日本人の戦争観や戦争の罪に対する意識が反映されていると考え、そこから導き出される日本人の戦争観の変化、および戦犯が美化された背景を考察する。

① 産業別労働組合と演劇サークル:全損保大阪地演劇部から劇団大阪へ

② 長島祐基(公益財団法人日本近代文学館)

③ 日本の労働組合の特徴として企業別組合が多い点があげられる。その中で労働組合を基盤としつつ、労働組合とも異なる共同性を作り出したのが1950年代のサークル運動である。本報告では産業別労働組合の演劇サークルである全損保大阪地経演劇部と、その流れを組む劇団大阪の結成過程に着目し、労働組合とサークル活動の関係、その中での企業の枠組みを超えた共同性の創出、1960年代以降の演劇運動の担い手や運動形態の変化を検討する。全損保大阪地協演劇部は企業を越えた演劇サークルとして結成され、職場や家制度の問題を描いた作品を発表した。1960年代以降は労働紛争や企業間競争が激化し、職場での演劇創造は困難になったが、その中で新たな担い手が現れ、金融系労働者と結びつき、劇団大阪が結成された。一連の流れを検討することはサークル運動研究に加え、企業別労働組合に着目してきた労働組合研究に対しても資する点があると考える。

① 戦後日本の「性教育」論:医師安藤畫一を中心に

② 松元実環(神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程)

③ 本研究は、まず、戦後初期の日本の性教育に関する歴史的研究において「性科学」視点の不足を指摘する。次に、当時の性科学の議論に頻繁に登場する医師安藤畫一の言説から、その思想的背景を考察する。戦後初期の性教育に関する歴史的研究は主に、1947年から1972年にかけて行われた「純潔教育」を分析の中心とし、先行研究は、性売買と純潔教育の関係を扱う女性史や教育史に偏る。しかし、実際は、同時代の性科学領域にも類似した議論が存在した。本研究は、医師安藤畫一に着目する。産婦人科医で、戦後は純潔教育委員会や日本性教育協会に所属した安藤は、教育現場の性教育に携わる一方、医療をはじめとする幅広い領域で「性」について言及した。先行研究は、安藤を教育者として扱うことが多かったが、性科学領域での議論を見ると、従来の研究で重要視されてきた教育的立場とは異なった思想を持っていたようだ。これらを明らかにするために、著書を中心に性科学領域の議論を見ていく。

14
9月

同時代史学会2020年度大会 趣旨文:「教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~」

趣旨文:「教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~」

 復古と革新の対立として始動した戦後日本の教育は、高度経済成長期に強まった画一化を経て、1990年代以降、新自由主義的な競争原理と復古的要素を加味した国家管理との競合となって現れている。そのなかで、人間を交換可能な部品に仕立て上げていく規律化の勢いは弱まる気配がない。

フーコーが指摘したように、規律化は日常的な場面で蓄積され、学校や兵営・工場・病院などで組織化される。その前提は徹底的な分断であり規格化である。そのうえで個々の部品を関係づけ、連動させ、有用化することが目ざされている。もちろん、全ての個が思惑通りの「部品」となるわけではない。

 今日、現在進行形で展開する新型コロナウィルスへの対策は、まずは密集することを禁止し、群れを寸断することから着手された。しかし、経済界にとってこの現状が決して好ましいものでないことはいうまでもない。人間を部品として規律化するのであれば、部品同士をつなげ・連動させ・生産力を増強しなければ意味がないからである。分断された現状それ自体は決して歓迎されるべきものではない。分断の効果を適度に見定めた暁には、新型コロナウィルスの「克服」が叫ばれ、「新しい生活様式」のもと、部品同士をスムーズにつなげ、生産活動へと再編していくだろう。それは、規律化の最前線である教育現場に何をもたらすだろうか。この問題は、歴史教育に限定された問題ではない。

 経済界の要望から今後、教育現場ではこれまで以上にさまざまなことが「規格化」されていくことが予想される。学習指導要領を機械的にノルマ化した教室では、子どものニーズは徹底的に無視され、新学習指導要領が強調する「主体化」は、規律化の新たな口実になりかねない。子どもの主体性はますます軽視されていくだろう。例えば、道徳教育における「思いやり」や「命の大切さ」を高唱することが、人権教育を迂回した規律化のツールになり、児童・生徒だけでなく、そこで働く教員たち自身が相互に監視し、不信感を募らせ、顔色をうかがい忖度する世界が展開する。そのなかで、子どもたちの尊厳を守るにはどうしたらよいだろうか。そして、生き生きとした人間性を育み、自立した個人と個人とが共生する成熟した社会を目指す心ある教員たちの取り組みを、ともにエンパワーメントするにはどうしたらよいだろうか。

 同時代史学会では、新型コロナウィルスの影響が教育現場にさまざまなしわ寄せ(および“可能性”)を刻印するなか、「コロナ後(とされる段階)」に予想される暴力的な展開(経済界主導の弱者切り捨て)をふまえ、その状況にいかに抗うか。コロナが可視化した“可能性”にも注意深く目配りしながら、そのしわ寄せを受ける立場に着目することで考察したいと思う。

 まず杉田真衣報告「若者の労働と生活から見た学校」では、すでに多様性が著しく減退した学校現場にあって、格差社会が子どもにどんな影響を与えてきたか。女性と貧困というテーマからこの点を追求されてきた同氏に、新型コロナウィルスの影響もふまえ、またその他の教育的な現状もふまえて報告していただく。

 河合隆平報告「学校教育における障害者の排除と包摂」では、特別支援教育の現状(+同時代史)を報告していただく。コロナでの分断・ソーシャルディスタンス・新しい生活様式は、「ふれあい」を前提にした「障害者」への教育に反している。これは、「障害者」に限らず、さまざまなケアワークにあてはまることだが、同時に「障害者」が「規格化されない身体」(=規律・訓練の対象外)を生きていることを踏まえれば、コロナ後に予想される経済界の攻勢が真っ先に排除するのも障害者であるはずだ。2016年7月に相模原でおきた殺傷事件の論理は弱まることはないだろう。コロナによって「障害者」の概念も変わり、「総障害者化」するとも言われているが、それが経済界との関係でどう展開するか。

 コメンテーターには、飯吉弘子氏と大内裕和氏にお願いした。飯吉氏には、高等教育卒業者への(大企業を中心とした)経済界ニーズとそこから浮かび上がる社会(構造)変化・時代変化について論じてもらう。大内氏には、今日の教育現場の状況や予想されるコロナの影響をふまえつつ、近現代史の長期的な見通しを論じていただく。

 規律化される“部品”は、個々の“部品”が対象化されるというよりも、その規範から逸脱する者を際立たせることで規格化される。「規律・訓練の体系のなかでは、子供の方が成人よりもいっそう個人化され、・・・・犯罪非行者が普通人および非―犯罪非行者よりもいっそう個人化される」(『監獄の誕生』195頁)。規律化される「普通人」は、「ぼかし」効果によって均質化されるのであり(同書187頁)、ピントが合わせられるのは、つねに、そこから漏れ落とされる側である。それにいかに抗うか。有意義な議論ができればと思う。

27
7月

同時代史学会2020年度大会 自由論題報告者の募集

 同時代史学会2020年度大会 自由論題報告者の募集

今年度の同時代史学会年次大会は、本年12月13日(日)、名古屋大学東山キャンパス(愛知県名古屋市千種区不老町)にて開催される予定です。つきましては、例年通り大会当日の午前中に実施される自由論題報告の報告者を募集します。日頃の研鑽を発表し合い、議論や情報交換ができる貴重な機会です。会員の皆様には、ぜひ奮ってご応募くださいますよう、お願い申し上げます。

※ 新型コロナウイルス感染拡大時の対応について

 現在、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の傾向が強まっています。本会理事会では慎重に状況を見極めた上、大会開催の形態については、9月の理事会にて最終的な対応を決定する予定です。通常の開催が難しい場合は、インターネットを通じた配信による開催形態に切り替えることも検討中です。なお、実際に開催形態を切り替える際は、自由論題報告で通常行っている複数会場での開催が管理・運営上の観点から難しいため、抽選により3名のみの報告とさせていただきます。またその場合は、通信機器・通信環境の整備について、報告者の皆様には別途御相談さしあげます。以上の旨、ご承知おきください。

1.日時:2020年12月13日(日) 午前10時開始~12時終了(予定)

  *御一人の持ち時間は報告40分+討論20分=計1時間を想定してください。

2.場所:名古屋大学東山キャンパス文学部本館・文系共同館

*キャンパスマップ:http://www.nagoya-u.ac.jp/access-map/index.html

3.論題:1945年以降を主な対象とする歴史研究全般

4.エントリー資格:同時代史学会会員であること

  *非会員で応募される方は、エントリーと同時に入会手続きをお済ませください。

   参照・本会HP「入会のご案内」: http://www.doujidaishi.org/about/admission.html

5.エントリー方法:

① 報告者氏名及び現在の所属

② 報告タイトル

③ 報告要旨(400字以内)

*以上を記載の上、電子メールまたは郵送にて下記8の宛先までお送りください。

6.採否:理事会で審査の上、9月末日までに応募者本人に直接採否を通知します。

7.締切:2020年8月末日必着

8.応募及び問い合わせ先:戸邉秀明(理事・東京経済大学教員)

E-mail:tobe ★ tku.ac.jp

  〒185-8502 東京都国分寺市南町1-7-34 東京経済大学 戸邉秀明 宛

   *郵便で応募いただく際には、封筒に「同時代史学会自由論題応募」と添え書きしてください

以上

27
7月

同時代史学会2020年度大会 予告

■同時代史学会2020年度大会 予告
 今年度の同時代史学会大会を、下記の日程・会場で実施します。
 但し、新型コロナウィルスの感染拡大状況を見据え、オンライン開催への変更も検討中です。開催形態・内容については、決定次第、随時お知らせします。
 また、自由論題報告の募集については、別途ご案内します。

大会日時:2020年12月13日(日)(午前に自由論題報告、午後に全体会の予定)
会場:名古屋大学東山キャンパス(愛知県名古屋市千種区不老町)
※オンライン開催に変更する可能性があります。
(10月21日追記:オンライン開催とすることに決定ししました。)
全体会テーマ「教育現場の同時代史 ~コロナによる分断を越えて~(仮)」
8
11月

同時代史学会2019年度大会 シンポジウム報告要旨

「同時代史的検証としての同時代史的叙述」をめざすために -1980~2010年代における杉原達の経験と思想を検証する-

大門正克(早稲田大学)

 1970年代から90年代にかけて、日本のアジアにおける戦争が同時代及び戦後にもたらした影響の大きさにいち早く気づき、議論を重ねた研究者として、私は、内海愛子、吉沢南、杉原達に学ぶことが多かった。3人のなかで、吉沢については論じたことがあり、今回は杉原をとりあげる。80年代にドイツ帝国主義の社会意識(帝国意識)研究から出発した杉原は、その後、在日朝鮮人史と中国人強制連行に研究テーマを拡張した。杉原は、「越境」や「経験」を手がかりにして、アジアにおける戦争を問い直し、近代と知のあり方を再考してきた。報告でめざすのは、①杉原の研究過程を同時代史的に検証することであるが、②その際に杉原は、歴史における空間と時間の認識が決定的に重要であるととらえ、「越境」による空間認識の拡張と「経験」による時間認識の拡張を図ったことに留意したい。<戦争の記憶>をめぐる同時代史の歴史表現を考えるうえで、空間と時間の認識は枢要点と考えられるので、この点で議論を提供したい。

戦後日本の映像メディアにおける韓国・朝鮮イメージの変遷 -1960年代〜90年代のテレビ・ドキュメンタリーを中心に-

丁智恵(東京工芸大学)

 20世紀において映像メディアは国民的記憶に大きな影響を与え、戦争や植民地支配に関する記憶を形成する上でも重要や役割を果たした。メディアでは、長年「国家の記憶」から排除されてきたアジア・太平洋戦争や植民地主義の被害者としての韓国・朝鮮人は、90年代頃には冷戦崩壊とアジアの民主化、昭和の終焉などが重なり大きく取り上げられるが、その後右派・保守派の巻き返しを受け状況は後退し現在にまで至る。

 本報告では、1960年代から90年代頃までのNHKと民放のテレビ・ドキュメンタリーに着目し、アジアの戦争被害や植民地支配に関する表象を韓国・朝鮮を中心テーマとして描いているものを抽出し分析する。この分析により戦争の語りの内容や主体がどう変化し、その時代の日本人が過去について何を記憶し何を忘却しようとしていたのかを明らかにする。さらには、これまでの変遷を辿ることにより、近年の停滞している状況について再検討する手がかりを得ることを目指す。

19
10月

同時代史学会2019年度大会 自由論題報告者・報告前要旨一覧

同時代史学会2019年度大会 自由論題

*各報告については、①報告タイトル、②報告者(所属等)、③報告要旨、の順で掲載しています。

*会場となる教室の割り振り等の案内については、追って掲載いたします。

A会場

報告A-1

① 焼跡・闇市における獣性表象

② 黒岩漠(一橋大学大学院社会学研究科博士課程後期在籍)

③ 敗戦直後、焼跡の広がった日本都市部では、人間を〈獣〉として、あるいは〈野生的なもの〉として表象するさまざまな言葉やイメージが、新聞記事やエッセイ、風刺画・風刺文、学術論文などにおいて散見される。たとえば、パンパンと呼ばれた街娼たちについて、その「野生美」や「自然児」的性質が語られ、浮浪児たちは「イヌ」や「ネズミ」と呼ばれ、「一匹、二匹」と数えられることもあったかと思えば、自らの〈獣〉性を誇るような浮浪児自身の手記も残されている。あるいは新聞記事ではいささか自虐的な調子も含めて、上野駅地下道で寝泊まりする焼け出された人々を「喪家の犬」、駅や闇市で窃盗を働く人々を「豹狼」と述べて、「人間動物園のテンヤ、ワンヤ」な状況を描いている。

 本報告では、敗戦直後の時期における、こういった表象・言説を検討し、哲学や文学研究などの分野における議論もふまえつつ、その複層的な意味を読解することを試みる。

報告A-2

① 米国統治下の沖縄における「琉球住民」-帝国主義と植民地国家の市民権という視点から考える

② 土井智義(日本学術振興会 特別研究員PD[東京大学])

③ 本報告では、米国統治下の琉球列島(53年12月まで奄美を含み、72年5月に日本へ返還)における「琉球住民」について、帝国主義と植民地国家の市民権という視点から分析する。

 琉球住民は、52年2月制定の米国民政府布令で「琉球の戸籍簿」に記載の「自然人」と定義されるが、その実体は琉球政府認定の「沖縄県」戸籍者であった。つまり講和条約で米国の琉球統治継続が正当化されるなか、現地の地元本籍者に対して米国が日本国籍を否定せずに身分証明を専管した独自の地位である。

 報告では、まず琉球住民と日本国籍の関係が、54年のハワイ連邦地裁の判決で確定した点をみて、国籍問題を迂回した琉球住民という地位を、米国が身分証明を専管した法主体(グアム住民等)の一環に定位する。次に琉球列島では日本国籍者も含めて「外国人」とされた点に鑑み、「帰化」問題から琉球住民の市民権としての側面をみる。以上により、米帝国主義史のなかで琉球住民を再考する。

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B会場

報告B-1

① 日大全共闘を再記録する企て-「日大930の会」の活動を中心に

② 趙沼振(東京外国語大学大学院博士後期課程在籍)

③ 本報告では、日大全共闘に結集した仲間たちで成り立った同窓会組織の「日大930の会」に着目し、彼らに行ったインタビュー調査の内容を通じて、日大闘争の経験を文章化する作業の一環となった記録活動の様相と意義について考察する。「日大930の会」は、日大闘争をめぐる膨大な量の記憶を檻から解放させるために、日大全共闘の当事者への呼びかけを続けながら、『日大闘争の記録―忘れざる日々』の記録本シリーズを発行した。奇しくも50年となった昨年、「日大アメフト部の反則タックル事件」が起き、運動部の組織構造のみならず大学全体の組織体質にまで問題化されたことによって、全共闘運動の記録活動が改めて意味づけられた。つまり、「日大930の会」は、あいかわらず日大全共闘として自分自身を歴史の対象として客観的に考察するための、記録作業に取り組み続けてきたことが、今日でも日大の体質改善のためには必要であり役立つことがわかったのである。

報告B-2

① 戦後日本の科学者運動と原子力-原子核物理学者・水戸巌の足跡に視点を据えて

② 黒川伊織(神戸大学大学院国際文化学研究科協力研究員)

③ 本報告では、原子力をめぐる科学者運動の動向を、原子核物理学者・水戸巌(1933-86年)の足跡に視点を据えて跡づけ、科学者運動から反原発運動が生まれる文脈を明らかにする。

戦時下で原爆開発に従事した原子核物理学者の多くは、敗戦後には原子力の「軍事利用」を厳しく批判して原水爆禁止運動を支持しつつ、「平和利用」としての原子力発電を推進する立場をとった。1951年に東大に入学した気鋭の原子核物理学者・水戸は、しかし、1970年代初頭には原発反対の立場に転じ、柏崎刈羽原発建設反対運動の最前線に立つことになる。

 民科系の科学者運動から出発した水戸は、1960年代に、アメリカから流入してくる研究資金の問題と向き合いつつ、日米安保体制のもとでの日本の科学者のベトナム戦争への間接的加担を批判するなかで、原発反対の立場に転じていくことになる。本報告では、このプロセスを具体的に跡づけるとともに、そこにはらまれる歴史的意味を掘り下げる。

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C会場

報告C-1

① 森崎和江にとっての沖縄を考える

② 山本真知子(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程在籍)

③ 沖縄の基地問題は地理的に限定された問題として流通してきただけでなく、沖縄はその運動の拠点としても固定化されてきた。こうした過程には、県外・海外から沖縄に渡って脱軍事化に向けた様々な活動-例えば、米軍基地ゲート前での直接行動や平和学習/ツアーなど-に参加することが、自己目的化してきたこととも無関係ではないだろう。

このような状況を念頭において、本報告では、労働を通して社会を捉え、他者との関係性を変えうる回路をひらくことを活動の軸に据えてきた詩人・作家の森崎和江に光を当てる。労働を通して沖縄を考えるというのは、どのような営みなのか。具体的には、1969年に北九州と筑豊の労働者らを中心に発足した、「おきなわを考える会」での活動を取り上げながら、彼女の行動と思考の軌跡を追っていく。森崎にとっての沖縄を検討することを通して、それぞれの生活の場において沖縄に出会い、関係をつくっていくための方法を探る。

報告C-2

① 太平洋を越えるベトナム反戦運動の経験と思想-沖縄におけるアメリカ人反戦活動家、留学生、反戦兵士による軍隊「解体」の試み

② 大野光明(滋賀県立大学教員)

③ 1965年の米軍による北ベトナム爆撃開始により、ベトナム戦争は泥沼化し、世界各地で反対運動がおこった。日本では素朴な反戦感情から始まった運動が、米軍基地や軍需産業の直接・間接の戦争関与を問題化し、社会変革を求める運動へと転じていった。また、日本「本土」から分離された沖縄が戦争の重要な機能を果たしていることも焦点となった。先行研究ではあまり注目されてこなかったが、日本や沖縄で、米国の反戦運動団体(例えば反戦兵士を支援したパシフィック・カウンセリング・サービス)や米国人留学生、反戦兵士らが連携し、軍隊の「解体」を模索した歴史がある。本報告は太平洋を越えて創出された反戦運動の人的ネットワークが、どのように沖縄の軍事機能を問い、いかなる介入を果たしたのかを明らかにする。日本・沖縄・米国のアーカイブズ調査と当事者インタビュー調査をふまえ、60年代末から70年代前半の沖縄における軍隊「解体」の輻輳性を考察する。

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D会場

報告D-1

① 1960年代の日本の対キューバ政策-「キューバ糖依存説」の再検討

② ロメロ・イサミ(帯広畜産大学教員)

③ 1959年の革命の勝利後、フィデル・カストロ率いる革命政府は、従来の親米路線を放棄した。これを警戒したアイゼンハワー政権(1953〜1961年)は、1961年にキューバとの国交を断絶し、経済制裁を進めた。また続くケネディー政権(1961〜1963年)は、1962年に中南米諸国と組んでキューバを米州機構から除名し、「西側陣営」の同盟国にも同様の協力を求めた。

これを受けた日本政府は、米国の対キューバ「封じ込め」政策から距離を置き、カストロ政権との国交を維持した。どうしてこのような政策を選択したのだろうか。先行研究では「キューバ糖依存」が大きな理由だと論じられてきた。当時、キューバは日本にとって最大の砂糖輸入先国であり、その砂糖資源を失うことができなかった。しかし、この「キューバ糖依存説」を一次史料で実証した研究は少ない。したがって、本研究では、日・米・キューバの外交史料を軸に、この「キューバ糖依存説」を再検討する。

報告D-2

① 沖縄の韓国人慰霊塔建設をめぐる政治力学

② 成田千尋(日本学術振興会 特別研究員PD[同志社大学])

③ 本報告の目的は、沖縄戦中に犠牲になった朝鮮人のための慰霊塔が、1975年に沖縄に建立されるまでの過程を、沖縄復帰前後の沖縄と朝鮮半島との関係の変化や、沖縄戦をめぐる沖縄社会の認識の変化との関わりから明らかにすることである。同塔については、1972 年の沖縄返還実現後、在日朝鮮人総連合会(以下朝鮮総連)の活動家を含めた調査団が沖縄で沖縄戦中の朝鮮人の被害について調査を行い、慰霊塔建設を計画したことに対抗し、韓国政府が拙速に建設したという点が韓国の先行研究において指摘されている。しかし、韓国政府の動向に対する北朝鮮政府の認識や、朝鮮総連と結びつきの強かった沖縄の革新勢力の慰霊塔建設に対する認識などは、検討対象となっていない。本報告では、現在も沖縄戦時の朝鮮人被害者の実態が明らかになっていないことを念頭に置き、上記の点も含めたより多様なアクターの動向に着目しつつ、韓国人慰霊塔建設の意味について再検討したい。

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以上

18
10月

同時代史学会2019年度大会シンポジウム企画・趣旨文

〈戦争の記憶〉をめぐる同時代史 -歴史表現はどう向きあってきたか

【趣旨文】

30年前、冷戦体制が崩壊し、日本では昭和が終焉を迎えた。だがその後の展開は、30年前に抱いたかすかな希望を大きく裏切るものだった。過去の戦争や植民地支配をめぐる議論でも、1990年代初頭は、史実の新たな解明と、それによる責任追及や関係改善が期待されていた。アジアでは経済発展や民主化が始まり、それまで声を挙げられなかった人々が声をあげ始めていた。日本でも、元「従軍慰安婦」女性による告発や新史料の公開により、植民地主義やジェンダー秩序の折り重なる戦争被害の実態について、見直しが急速度で進んだ。だが90年代は、ナショナリズムの言説や排外主義が、歴史の見直しを否認すべく簇生した時代でもあった。そのような対抗関係は、やがて、〈戦争の記憶〉とよばれる広大かつ新たな質の問題領域を形作った。一方で、戦争の表象が国民国家や民族を単位としてますます絶対視され、メディア環境の激変とあいまって、人々の情動を掻き立てる装置となった。他方、学問研究においても、史実の実証如何とは別の次元で、社会における「記憶のされ方」それ自体が、新たな分析の対象となってきた――いずれの場面でも、歴史研究(者)は、もはや不要となっているかのようだ。

同時代史学会では、このような状況の変化を意識しつつ、近年のナショナリズムや排外主義の興隆、あるいは戦争認識の変化等について、大会シンポジウムの主題としてきた。だがそこで対象とされた〈戦争の記憶〉をめぐる現象は、あくまで歴史研究の外側にある分析の客体としてあった。しかしながら、私たちもまた〈戦争の記憶〉をめぐるここ数十年の大きな変化のなかで研究をしている以上、変化と無縁ではありえない。ならば、〈戦争の記憶〉をめぐる変化のただなかで、それに向きあって同時代史を描き直す試みは、どのような挑戦を重ねてきたのか――今回は、そうした軌跡そのものを、一箇の同時代史として検証したい。

その際、次の二つの点に注意しておきたい。

第一に、冷戦後の変貌を捉え直すためにこそ、それ以前、おおよそ1970年代頃から始まったさまざまな模索をふまえて〈戦争の記憶〉に向きあう試みを意味づけ、評価する必要がある。

現代史研究の分野では、1970年代以降、空襲記録運動や朝鮮人強制連行に関する史実の掘り起こしなど地道な活動が実を結び、南京事件や沖縄戦などに関する戦争責任研究も提起され始めた。また1960年代後半に生じた近代的学問方法の問い直しを承けた新たな歴史研究の試みが、たとえばオーラル・ヒストリーによる歴史叙述といったかたちで、成果を生みつつあった。ところが1990年代半ば以降、歴史修正主義の広がりや実証的方法に対する認識論的な批判など、新たな論争の局面が生まれると、上記のようなそれ以前の取り組みが持っていた可能性や課題については省みられなくなった。90年代以降の〈戦争の記憶〉をめぐる問題構成を前提にして過去を振り返ろうとすると、十分には検証できない断層がそこに生じてしまう。

むしろいま必要なのは、90年代の認識論的な転換以前の多様な模索が、90年代以降の新たな状況に対峙して、いかなる継承や更新を可能にしたのかを検証することで、新たな同時代認識を獲得することではないか。具体的には、当該期に戦争や植民地支配の同時代史を捉えかえした試みを俎上に上せ、それをこの30年の、いわば新自由主義時代の同時代史のなかに位置づける試みが求められるだろう。

第二に、そのような〈戦争の記憶〉をめぐる状況の変化に批判的に向きあって同時代史を捉え直す試みは、いわゆる歴史研究に限らないどころか、むしろそれ以外の領域においてこそ、活発だった。したがって、歴史叙述というよりも、とりあえず歴史表現とここで名指す多様な媒体と方法にもとづく歴史の表現行為を視野に収める必要がある。

以上のような問題関心にそって、今回は以下の構成で大会シンポジウムを企画した。

まず、1980年代からオーラル・ヒストリーを用い、近年では現代史叙述のための聞き取りや叙述の方法について提言を続けている大門正克氏に、同世代の杉原達氏の歴史研究の軌跡を主な対象として、同時代史叙述の可能性について論じていただく。ドイツ経済史から出発した杉原氏の1980年代の「ドイツ帝国主義の社会史」を通じた模索が、90年代以降の『越境する民』、『中国人強制連行』といった仕事にどのようにつながるのか。また、その著作を通じて杉原氏が対峙した歴史意識や状況とは何であったのかが捉えかえされる。

ついで戦後日本のドキュメンタリー映像に表れた韓国・朝鮮という他者イメージの変遷について分析を続けてこられた丁智恵氏に、映像による歴史表現において、1990年代にいかなる革新が可能であったのかについて論じていただく。その際、そのような革新を生み出したドキュメンタリー番組に携わる人々が、1970年代以来のメディア・言論状況のなかでいかなる模索を続けたのか、その成果と制約とが、いかに映像表現の水準で反映されているのかが、明らかにされる。

加えて、2報告が対象とした当時の試みが置かれた歴史的条件や文脈についてさらに掘り下げるため、次のお二人からコメントをいただく。岩崎稔氏には、記憶論や〈戦争の記憶〉研究の国際的な広がりとの比較の観点からコメントをいただく。また源川真希氏には、新自由主義下の市民主義の変容や右傾化といった〈戦争の記憶〉の変容と並行する現象をふまえて、政治史の観点からコメントをいただく。

以上の報告とコメントを得て、当日は、以下の観点で議論を深めてみたい。〈戦争の記憶〉をめぐる1990年代以降の状況に批判的に対峙する歴史表現は、①既存の歴史研究や戦後の価値観を批判して、どのような叙述を生み出せたか、②それは新自由主義の深まりゆく同時代に対してどのような意味の対抗でありえたか、③それらの歴史表現は〈戦争の記憶〉をめぐる問題関心の大きな変容に対して、どのような質の応答でありえたか、④そのような試みから、私たちはこの30年の同時代史を描くための視座をいかに養い、鍛えられるか――このような論点について、会場全体で議論を交わすことで、冷戦体制の崩壊、昭和の終焉から30年というこの地点の位置と意味を測り直す手だてとしたい。

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【報告者】

1.大門正克(早稲田大学)

「「同時代史的検証としての同時代史的叙述」をめざすために―1980~2010年代における杉原達の経験と思想を検証する―」

[参考文献]

・『全集日本の歴史15 戦争と戦後を生きる』小学館、2009年

・「新自由主義時代の歴史学」、東京歴史科学研究会編『歴史を学ぶ人々のために:現在をどう生きるか』岩波書店、2017年

・『語る歴史、聞く歴史:オーラル・ヒストリーの現場から』岩波新書、2017年

2.丁智恵(東京工芸大学)

 「戦後日本の映像メディアにおける韓国・朝鮮イメージの変遷―1960年代〜90年代のテレビ・ドキュメンタリーを中心に―」

[参考文献]

 ・「ドキュメンタリー『密航』(1980)と日韓現代史表象の「転換期」」、『情報学研究:東京大学大学院情報学環紀要』91、2016年

・「韓国・朝鮮という〈他者〉イメージ:1970~80年代の「転換期」」(特集 始動するアーカイブ研究:テレビ・ドキュメンタリーは何を描いてきたか)、『放送メディア研究』8、日本放送協会放送文化研究所編、2011年

・「「忘れられた」他者たちの声:テレビ・アーカイブからみる日韓の戦後補償問題」、『韓国学のフロンティア』1、早稲田大学韓国学研究所、2015年

【コメンテーター】

1.岩崎稔(東京外国語大学)

 [参考文献]「歴史修正主義:一九九〇年代以降の位相」、『岩波講座アジア・太平洋戦争1 なぜ、いまアジア・太平洋戦争か』岩波書店、2005年 *シュテフィ・リヒターとの共著

2.源川真希(首都大学東京)

 [参考文献]源川真希「現代史のなかの日本近現代史研究の位置を考える」、『メトロポリタン史学』第13号、2017年