19
10月

同時代史学会2019年度大会 自由論題報告者・報告前要旨一覧

同時代史学会2019年度大会 自由論題

*各報告については、①報告タイトル、②報告者(所属等)、③報告要旨、の順で掲載しています。

*会場となる教室の割り振り等の案内については、追って掲載いたします。

A会場

報告A-1

① 焼跡・闇市における獣性表象

② 黒岩漠(一橋大学大学院社会学研究科博士課程後期在籍)

③ 敗戦直後、焼跡の広がった日本都市部では、人間を〈獣〉として、あるいは〈野生的なもの〉として表象するさまざまな言葉やイメージが、新聞記事やエッセイ、風刺画・風刺文、学術論文などにおいて散見される。たとえば、パンパンと呼ばれた街娼たちについて、その「野生美」や「自然児」的性質が語られ、浮浪児たちは「イヌ」や「ネズミ」と呼ばれ、「一匹、二匹」と数えられることもあったかと思えば、自らの〈獣〉性を誇るような浮浪児自身の手記も残されている。あるいは新聞記事ではいささか自虐的な調子も含めて、上野駅地下道で寝泊まりする焼け出された人々を「喪家の犬」、駅や闇市で窃盗を働く人々を「豹狼」と述べて、「人間動物園のテンヤ、ワンヤ」な状況を描いている。

 本報告では、敗戦直後の時期における、こういった表象・言説を検討し、哲学や文学研究などの分野における議論もふまえつつ、その複層的な意味を読解することを試みる。

報告A-2

① 米国統治下の沖縄における「琉球住民」-帝国主義と植民地国家の市民権という視点から考える

② 土井智義(日本学術振興会 特別研究員PD[東京大学])

③ 本報告では、米国統治下の琉球列島(53年12月まで奄美を含み、72年5月に日本へ返還)における「琉球住民」について、帝国主義と植民地国家の市民権という視点から分析する。

 琉球住民は、52年2月制定の米国民政府布令で「琉球の戸籍簿」に記載の「自然人」と定義されるが、その実体は琉球政府認定の「沖縄県」戸籍者であった。つまり講和条約で米国の琉球統治継続が正当化されるなか、現地の地元本籍者に対して米国が日本国籍を否定せずに身分証明を専管した独自の地位である。

 報告では、まず琉球住民と日本国籍の関係が、54年のハワイ連邦地裁の判決で確定した点をみて、国籍問題を迂回した琉球住民という地位を、米国が身分証明を専管した法主体(グアム住民等)の一環に定位する。次に琉球列島では日本国籍者も含めて「外国人」とされた点に鑑み、「帰化」問題から琉球住民の市民権としての側面をみる。以上により、米帝国主義史のなかで琉球住民を再考する。

--------------------------------

B会場

報告B-1

① 日大全共闘を再記録する企て-「日大930の会」の活動を中心に

② 趙沼振(東京外国語大学大学院博士後期課程在籍)

③ 本報告では、日大全共闘に結集した仲間たちで成り立った同窓会組織の「日大930の会」に着目し、彼らに行ったインタビュー調査の内容を通じて、日大闘争の経験を文章化する作業の一環となった記録活動の様相と意義について考察する。「日大930の会」は、日大闘争をめぐる膨大な量の記憶を檻から解放させるために、日大全共闘の当事者への呼びかけを続けながら、『日大闘争の記録―忘れざる日々』の記録本シリーズを発行した。奇しくも50年となった昨年、「日大アメフト部の反則タックル事件」が起き、運動部の組織構造のみならず大学全体の組織体質にまで問題化されたことによって、全共闘運動の記録活動が改めて意味づけられた。つまり、「日大930の会」は、あいかわらず日大全共闘として自分自身を歴史の対象として客観的に考察するための、記録作業に取り組み続けてきたことが、今日でも日大の体質改善のためには必要であり役立つことがわかったのである。

報告B-2

① 戦後日本の科学者運動と原子力-原子核物理学者・水戸巌の足跡に視点を据えて

② 黒川伊織(神戸大学大学院国際文化学研究科協力研究員)

③ 本報告では、原子力をめぐる科学者運動の動向を、原子核物理学者・水戸巌(1933-86年)の足跡に視点を据えて跡づけ、科学者運動から反原発運動が生まれる文脈を明らかにする。

戦時下で原爆開発に従事した原子核物理学者の多くは、敗戦後には原子力の「軍事利用」を厳しく批判して原水爆禁止運動を支持しつつ、「平和利用」としての原子力発電を推進する立場をとった。1951年に東大に入学した気鋭の原子核物理学者・水戸は、しかし、1970年代初頭には原発反対の立場に転じ、柏崎刈羽原発建設反対運動の最前線に立つことになる。

 民科系の科学者運動から出発した水戸は、1960年代に、アメリカから流入してくる研究資金の問題と向き合いつつ、日米安保体制のもとでの日本の科学者のベトナム戦争への間接的加担を批判するなかで、原発反対の立場に転じていくことになる。本報告では、このプロセスを具体的に跡づけるとともに、そこにはらまれる歴史的意味を掘り下げる。

--------------------------------

C会場

報告C-1

① 森崎和江にとっての沖縄を考える

② 山本真知子(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程在籍)

③ 沖縄の基地問題は地理的に限定された問題として流通してきただけでなく、沖縄はその運動の拠点としても固定化されてきた。こうした過程には、県外・海外から沖縄に渡って脱軍事化に向けた様々な活動-例えば、米軍基地ゲート前での直接行動や平和学習/ツアーなど-に参加することが、自己目的化してきたこととも無関係ではないだろう。

このような状況を念頭において、本報告では、労働を通して社会を捉え、他者との関係性を変えうる回路をひらくことを活動の軸に据えてきた詩人・作家の森崎和江に光を当てる。労働を通して沖縄を考えるというのは、どのような営みなのか。具体的には、1969年に北九州と筑豊の労働者らを中心に発足した、「おきなわを考える会」での活動を取り上げながら、彼女の行動と思考の軌跡を追っていく。森崎にとっての沖縄を検討することを通して、それぞれの生活の場において沖縄に出会い、関係をつくっていくための方法を探る。

報告C-2

① 太平洋を越えるベトナム反戦運動の経験と思想-沖縄におけるアメリカ人反戦活動家、留学生、反戦兵士による軍隊「解体」の試み

② 大野光明(滋賀県立大学教員)

③ 1965年の米軍による北ベトナム爆撃開始により、ベトナム戦争は泥沼化し、世界各地で反対運動がおこった。日本では素朴な反戦感情から始まった運動が、米軍基地や軍需産業の直接・間接の戦争関与を問題化し、社会変革を求める運動へと転じていった。また、日本「本土」から分離された沖縄が戦争の重要な機能を果たしていることも焦点となった。先行研究ではあまり注目されてこなかったが、日本や沖縄で、米国の反戦運動団体(例えば反戦兵士を支援したパシフィック・カウンセリング・サービス)や米国人留学生、反戦兵士らが連携し、軍隊の「解体」を模索した歴史がある。本報告は太平洋を越えて創出された反戦運動の人的ネットワークが、どのように沖縄の軍事機能を問い、いかなる介入を果たしたのかを明らかにする。日本・沖縄・米国のアーカイブズ調査と当事者インタビュー調査をふまえ、60年代末から70年代前半の沖縄における軍隊「解体」の輻輳性を考察する。

--------------------------------

D会場

報告D-1

① 1960年代の日本の対キューバ政策-「キューバ糖依存説」の再検討

② ロメロ・イサミ(帯広畜産大学教員)

③ 1959年の革命の勝利後、フィデル・カストロ率いる革命政府は、従来の親米路線を放棄した。これを警戒したアイゼンハワー政権(1953〜1961年)は、1961年にキューバとの国交を断絶し、経済制裁を進めた。また続くケネディー政権(1961〜1963年)は、1962年に中南米諸国と組んでキューバを米州機構から除名し、「西側陣営」の同盟国にも同様の協力を求めた。

これを受けた日本政府は、米国の対キューバ「封じ込め」政策から距離を置き、カストロ政権との国交を維持した。どうしてこのような政策を選択したのだろうか。先行研究では「キューバ糖依存」が大きな理由だと論じられてきた。当時、キューバは日本にとって最大の砂糖輸入先国であり、その砂糖資源を失うことができなかった。しかし、この「キューバ糖依存説」を一次史料で実証した研究は少ない。したがって、本研究では、日・米・キューバの外交史料を軸に、この「キューバ糖依存説」を再検討する。

報告D-2

① 沖縄の韓国人慰霊塔建設をめぐる政治力学

② 成田千尋(日本学術振興会 特別研究員PD[同志社大学])

③ 本報告の目的は、沖縄戦中に犠牲になった朝鮮人のための慰霊塔が、1975年に沖縄に建立されるまでの過程を、沖縄復帰前後の沖縄と朝鮮半島との関係の変化や、沖縄戦をめぐる沖縄社会の認識の変化との関わりから明らかにすることである。同塔については、1972 年の沖縄返還実現後、在日朝鮮人総連合会(以下朝鮮総連)の活動家を含めた調査団が沖縄で沖縄戦中の朝鮮人の被害について調査を行い、慰霊塔建設を計画したことに対抗し、韓国政府が拙速に建設したという点が韓国の先行研究において指摘されている。しかし、韓国政府の動向に対する北朝鮮政府の認識や、朝鮮総連と結びつきの強かった沖縄の革新勢力の慰霊塔建設に対する認識などは、検討対象となっていない。本報告では、現在も沖縄戦時の朝鮮人被害者の実態が明らかになっていないことを念頭に置き、上記の点も含めたより多様なアクターの動向に着目しつつ、韓国人慰霊塔建設の意味について再検討したい。

--------------------------------

以上

18
10月

同時代史学会2019年度大会シンポジウム企画・趣旨文

〈戦争の記憶〉をめぐる同時代史 -歴史表現はどう向きあってきたか

【趣旨文】

30年前、冷戦体制が崩壊し、日本では昭和が終焉を迎えた。だがその後の展開は、30年前に抱いたかすかな希望を大きく裏切るものだった。過去の戦争や植民地支配をめぐる議論でも、1990年代初頭は、史実の新たな解明と、それによる責任追及や関係改善が期待されていた。アジアでは経済発展や民主化が始まり、それまで声を挙げられなかった人々が声をあげ始めていた。日本でも、元「従軍慰安婦」女性による告発や新史料の公開により、植民地主義やジェンダー秩序の折り重なる戦争被害の実態について、見直しが急速度で進んだ。だが90年代は、ナショナリズムの言説や排外主義が、歴史の見直しを否認すべく簇生した時代でもあった。そのような対抗関係は、やがて、〈戦争の記憶〉とよばれる広大かつ新たな質の問題領域を形作った。一方で、戦争の表象が国民国家や民族を単位としてますます絶対視され、メディア環境の激変とあいまって、人々の情動を掻き立てる装置となった。他方、学問研究においても、史実の実証如何とは別の次元で、社会における「記憶のされ方」それ自体が、新たな分析の対象となってきた――いずれの場面でも、歴史研究(者)は、もはや不要となっているかのようだ。

同時代史学会では、このような状況の変化を意識しつつ、近年のナショナリズムや排外主義の興隆、あるいは戦争認識の変化等について、大会シンポジウムの主題としてきた。だがそこで対象とされた〈戦争の記憶〉をめぐる現象は、あくまで歴史研究の外側にある分析の客体としてあった。しかしながら、私たちもまた〈戦争の記憶〉をめぐるここ数十年の大きな変化のなかで研究をしている以上、変化と無縁ではありえない。ならば、〈戦争の記憶〉をめぐる変化のただなかで、それに向きあって同時代史を描き直す試みは、どのような挑戦を重ねてきたのか――今回は、そうした軌跡そのものを、一箇の同時代史として検証したい。

その際、次の二つの点に注意しておきたい。

第一に、冷戦後の変貌を捉え直すためにこそ、それ以前、おおよそ1970年代頃から始まったさまざまな模索をふまえて〈戦争の記憶〉に向きあう試みを意味づけ、評価する必要がある。

現代史研究の分野では、1970年代以降、空襲記録運動や朝鮮人強制連行に関する史実の掘り起こしなど地道な活動が実を結び、南京事件や沖縄戦などに関する戦争責任研究も提起され始めた。また1960年代後半に生じた近代的学問方法の問い直しを承けた新たな歴史研究の試みが、たとえばオーラル・ヒストリーによる歴史叙述といったかたちで、成果を生みつつあった。ところが1990年代半ば以降、歴史修正主義の広がりや実証的方法に対する認識論的な批判など、新たな論争の局面が生まれると、上記のようなそれ以前の取り組みが持っていた可能性や課題については省みられなくなった。90年代以降の〈戦争の記憶〉をめぐる問題構成を前提にして過去を振り返ろうとすると、十分には検証できない断層がそこに生じてしまう。

むしろいま必要なのは、90年代の認識論的な転換以前の多様な模索が、90年代以降の新たな状況に対峙して、いかなる継承や更新を可能にしたのかを検証することで、新たな同時代認識を獲得することではないか。具体的には、当該期に戦争や植民地支配の同時代史を捉えかえした試みを俎上に上せ、それをこの30年の、いわば新自由主義時代の同時代史のなかに位置づける試みが求められるだろう。

第二に、そのような〈戦争の記憶〉をめぐる状況の変化に批判的に向きあって同時代史を捉え直す試みは、いわゆる歴史研究に限らないどころか、むしろそれ以外の領域においてこそ、活発だった。したがって、歴史叙述というよりも、とりあえず歴史表現とここで名指す多様な媒体と方法にもとづく歴史の表現行為を視野に収める必要がある。

以上のような問題関心にそって、今回は以下の構成で大会シンポジウムを企画した。

まず、1980年代からオーラル・ヒストリーを用い、近年では現代史叙述のための聞き取りや叙述の方法について提言を続けている大門正克氏に、同世代の杉原達氏の歴史研究の軌跡を主な対象として、同時代史叙述の可能性について論じていただく。ドイツ経済史から出発した杉原氏の1980年代の「ドイツ帝国主義の社会史」を通じた模索が、90年代以降の『越境する民』、『中国人強制連行』といった仕事にどのようにつながるのか。また、その著作を通じて杉原氏が対峙した歴史意識や状況とは何であったのかが捉えかえされる。

ついで戦後日本のドキュメンタリー映像に表れた韓国・朝鮮という他者イメージの変遷について分析を続けてこられた丁智恵氏に、映像による歴史表現において、1990年代にいかなる革新が可能であったのかについて論じていただく。その際、そのような革新を生み出したドキュメンタリー番組に携わる人々が、1970年代以来のメディア・言論状況のなかでいかなる模索を続けたのか、その成果と制約とが、いかに映像表現の水準で反映されているのかが、明らかにされる。

加えて、2報告が対象とした当時の試みが置かれた歴史的条件や文脈についてさらに掘り下げるため、次のお二人からコメントをいただく。岩崎稔氏には、記憶論や〈戦争の記憶〉研究の国際的な広がりとの比較の観点からコメントをいただく。また源川真希氏には、新自由主義下の市民主義の変容や右傾化といった〈戦争の記憶〉の変容と並行する現象をふまえて、政治史の観点からコメントをいただく。

以上の報告とコメントを得て、当日は、以下の観点で議論を深めてみたい。〈戦争の記憶〉をめぐる1990年代以降の状況に批判的に対峙する歴史表現は、①既存の歴史研究や戦後の価値観を批判して、どのような叙述を生み出せたか、②それは新自由主義の深まりゆく同時代に対してどのような意味の対抗でありえたか、③それらの歴史表現は〈戦争の記憶〉をめぐる問題関心の大きな変容に対して、どのような質の応答でありえたか、④そのような試みから、私たちはこの30年の同時代史を描くための視座をいかに養い、鍛えられるか――このような論点について、会場全体で議論を交わすことで、冷戦体制の崩壊、昭和の終焉から30年というこの地点の位置と意味を測り直す手だてとしたい。

―――――――――――――――――――――――――――――

【報告者】

1.大門正克(早稲田大学)

「「同時代史的検証としての同時代史的叙述」をめざすために―1980~2010年代における杉原達の経験と思想を検証する―」

[参考文献]

・『全集日本の歴史15 戦争と戦後を生きる』小学館、2009年

・「新自由主義時代の歴史学」、東京歴史科学研究会編『歴史を学ぶ人々のために:現在をどう生きるか』岩波書店、2017年

・『語る歴史、聞く歴史:オーラル・ヒストリーの現場から』岩波新書、2017年

2.丁智恵(東京工芸大学)

 「戦後日本の映像メディアにおける韓国・朝鮮イメージの変遷―1960年代〜90年代のテレビ・ドキュメンタリーを中心に―」

[参考文献]

 ・「ドキュメンタリー『密航』(1980)と日韓現代史表象の「転換期」」、『情報学研究:東京大学大学院情報学環紀要』91、2016年

・「韓国・朝鮮という〈他者〉イメージ:1970~80年代の「転換期」」(特集 始動するアーカイブ研究:テレビ・ドキュメンタリーは何を描いてきたか)、『放送メディア研究』8、日本放送協会放送文化研究所編、2011年

・「「忘れられた」他者たちの声:テレビ・アーカイブからみる日韓の戦後補償問題」、『韓国学のフロンティア』1、早稲田大学韓国学研究所、2015年

【コメンテーター】

1.岩崎稔(東京外国語大学)

 [参考文献]「歴史修正主義:一九九〇年代以降の位相」、『岩波講座アジア・太平洋戦争1 なぜ、いまアジア・太平洋戦争か』岩波書店、2005年 *シュテフィ・リヒターとの共著

2.源川真希(首都大学東京)

 [参考文献]源川真希「現代史のなかの日本近現代史研究の位置を考える」、『メトロポリタン史学』第13号、2017年

11
10月

第27回関西研究会のお知らせ

みなさま

みなさまいかがお過ごしでしょうか。
平素は本会の活動をご支援いただき、まことにありがとうございます。

さて、同時代史学会・第27回関西研究会を下記のように開催いたします。
みなさまお誘い合わせのうえ、よろしくご参加のほど、お願いいたします。

====
同時代史学会・第27回関西研究会

〈報告〉
花田史彦氏(京都大学)「「知識人」に「転職」する――評論家・佐藤忠男の思
想と行動」

参考文献:
・原田達『鶴見俊輔と希望の社会学』(世界思想社、2002年)
・和田悠「鶴見俊輔と思想の科学の1950年代――戦後啓蒙の思想的展開に関する
一考察」有末賢・関根政美編『戦後日本の社会と市民意識』(慶應義塾大学出版
会、2005年)
・北河賢三「鶴見俊輔の思想・方法と大衆の思想」赤澤史朗・北河賢三・黒川み
どり編『戦後知識人と民衆観』(影書房、2014年)
・佐藤忠男『独学でよかった――読書と私の人生』(中日映画社、2014年)

日時:2019年11月17日(日)15:00~17:30
場所:西宮市大学交流センターセミナー室2
※阪急西宮北口駅からすぐ
会場へのアクセス
https://www.nishi.or.jp/access/sonotashisetsu/daigakukoryu/daigakukoryu-gaiyo.html
参加費:無料(会員外の方にもお声をおかけ下さい)

配信担当:河西秀哉