同時代史学会2019年度大会 自由論題
*各報告については、①報告タイトル、②報告者(所属等)、③報告要旨、の順で掲載しています。
*会場となる教室の割り振り等の案内については、追って掲載いたします。
A会場
報告A-1
① 焼跡・闇市における獣性表象
② 黒岩漠(一橋大学大学院社会学研究科博士課程後期在籍)
③ 敗戦直後、焼跡の広がった日本都市部では、人間を〈獣〉として、あるいは〈野生的なもの〉として表象するさまざまな言葉やイメージが、新聞記事やエッセイ、風刺画・風刺文、学術論文などにおいて散見される。たとえば、パンパンと呼ばれた街娼たちについて、その「野生美」や「自然児」的性質が語られ、浮浪児たちは「イヌ」や「ネズミ」と呼ばれ、「一匹、二匹」と数えられることもあったかと思えば、自らの〈獣〉性を誇るような浮浪児自身の手記も残されている。あるいは新聞記事ではいささか自虐的な調子も含めて、上野駅地下道で寝泊まりする焼け出された人々を「喪家の犬」、駅や闇市で窃盗を働く人々を「豹狼」と述べて、「人間動物園のテンヤ、ワンヤ」な状況を描いている。
本報告では、敗戦直後の時期における、こういった表象・言説を検討し、哲学や文学研究などの分野における議論もふまえつつ、その複層的な意味を読解することを試みる。
報告A-2
① 米国統治下の沖縄における「琉球住民」-帝国主義と植民地国家の市民権という視点から考える
② 土井智義(日本学術振興会 特別研究員PD[東京大学])
③ 本報告では、米国統治下の琉球列島(53年12月まで奄美を含み、72年5月に日本へ返還)における「琉球住民」について、帝国主義と植民地国家の市民権という視点から分析する。
琉球住民は、52年2月制定の米国民政府布令で「琉球の戸籍簿」に記載の「自然人」と定義されるが、その実体は琉球政府認定の「沖縄県」戸籍者であった。つまり講和条約で米国の琉球統治継続が正当化されるなか、現地の地元本籍者に対して米国が日本国籍を否定せずに身分証明を専管した独自の地位である。
報告では、まず琉球住民と日本国籍の関係が、54年のハワイ連邦地裁の判決で確定した点をみて、国籍問題を迂回した琉球住民という地位を、米国が身分証明を専管した法主体(グアム住民等)の一環に定位する。次に琉球列島では日本国籍者も含めて「外国人」とされた点に鑑み、「帰化」問題から琉球住民の市民権としての側面をみる。以上により、米帝国主義史のなかで琉球住民を再考する。
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B会場
報告B-1
① 日大全共闘を再記録する企て-「日大930の会」の活動を中心に
② 趙沼振(東京外国語大学大学院博士後期課程在籍)
③ 本報告では、日大全共闘に結集した仲間たちで成り立った同窓会組織の「日大930の会」に着目し、彼らに行ったインタビュー調査の内容を通じて、日大闘争の経験を文章化する作業の一環となった記録活動の様相と意義について考察する。「日大930の会」は、日大闘争をめぐる膨大な量の記憶を檻から解放させるために、日大全共闘の当事者への呼びかけを続けながら、『日大闘争の記録―忘れざる日々』の記録本シリーズを発行した。奇しくも50年となった昨年、「日大アメフト部の反則タックル事件」が起き、運動部の組織構造のみならず大学全体の組織体質にまで問題化されたことによって、全共闘運動の記録活動が改めて意味づけられた。つまり、「日大930の会」は、あいかわらず日大全共闘として自分自身を歴史の対象として客観的に考察するための、記録作業に取り組み続けてきたことが、今日でも日大の体質改善のためには必要であり役立つことがわかったのである。
報告B-2
① 戦後日本の科学者運動と原子力-原子核物理学者・水戸巌の足跡に視点を据えて
② 黒川伊織(神戸大学大学院国際文化学研究科協力研究員)
③ 本報告では、原子力をめぐる科学者運動の動向を、原子核物理学者・水戸巌(1933-86年)の足跡に視点を据えて跡づけ、科学者運動から反原発運動が生まれる文脈を明らかにする。
戦時下で原爆開発に従事した原子核物理学者の多くは、敗戦後には原子力の「軍事利用」を厳しく批判して原水爆禁止運動を支持しつつ、「平和利用」としての原子力発電を推進する立場をとった。1951年に東大に入学した気鋭の原子核物理学者・水戸は、しかし、1970年代初頭には原発反対の立場に転じ、柏崎刈羽原発建設反対運動の最前線に立つことになる。
民科系の科学者運動から出発した水戸は、1960年代に、アメリカから流入してくる研究資金の問題と向き合いつつ、日米安保体制のもとでの日本の科学者のベトナム戦争への間接的加担を批判するなかで、原発反対の立場に転じていくことになる。本報告では、このプロセスを具体的に跡づけるとともに、そこにはらまれる歴史的意味を掘り下げる。
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C会場
報告C-1
① 森崎和江にとっての沖縄を考える
② 山本真知子(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程在籍)
③ 沖縄の基地問題は地理的に限定された問題として流通してきただけでなく、沖縄はその運動の拠点としても固定化されてきた。こうした過程には、県外・海外から沖縄に渡って脱軍事化に向けた様々な活動-例えば、米軍基地ゲート前での直接行動や平和学習/ツアーなど-に参加することが、自己目的化してきたこととも無関係ではないだろう。
このような状況を念頭において、本報告では、労働を通して社会を捉え、他者との関係性を変えうる回路をひらくことを活動の軸に据えてきた詩人・作家の森崎和江に光を当てる。労働を通して沖縄を考えるというのは、どのような営みなのか。具体的には、1969年に北九州と筑豊の労働者らを中心に発足した、「おきなわを考える会」での活動を取り上げながら、彼女の行動と思考の軌跡を追っていく。森崎にとっての沖縄を検討することを通して、それぞれの生活の場において沖縄に出会い、関係をつくっていくための方法を探る。
報告C-2
① 太平洋を越えるベトナム反戦運動の経験と思想-沖縄におけるアメリカ人反戦活動家、留学生、反戦兵士による軍隊「解体」の試み
② 大野光明(滋賀県立大学教員)
③ 1965年の米軍による北ベトナム爆撃開始により、ベトナム戦争は泥沼化し、世界各地で反対運動がおこった。日本では素朴な反戦感情から始まった運動が、米軍基地や軍需産業の直接・間接の戦争関与を問題化し、社会変革を求める運動へと転じていった。また、日本「本土」から分離された沖縄が戦争の重要な機能を果たしていることも焦点となった。先行研究ではあまり注目されてこなかったが、日本や沖縄で、米国の反戦運動団体(例えば反戦兵士を支援したパシフィック・カウンセリング・サービス)や米国人留学生、反戦兵士らが連携し、軍隊の「解体」を模索した歴史がある。本報告は太平洋を越えて創出された反戦運動の人的ネットワークが、どのように沖縄の軍事機能を問い、いかなる介入を果たしたのかを明らかにする。日本・沖縄・米国のアーカイブズ調査と当事者インタビュー調査をふまえ、60年代末から70年代前半の沖縄における軍隊「解体」の輻輳性を考察する。
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D会場
報告D-1
① 1960年代の日本の対キューバ政策-「キューバ糖依存説」の再検討
② ロメロ・イサミ(帯広畜産大学教員)
③ 1959年の革命の勝利後、フィデル・カストロ率いる革命政府は、従来の親米路線を放棄した。これを警戒したアイゼンハワー政権(1953〜1961年)は、1961年にキューバとの国交を断絶し、経済制裁を進めた。また続くケネディー政権(1961〜1963年)は、1962年に中南米諸国と組んでキューバを米州機構から除名し、「西側陣営」の同盟国にも同様の協力を求めた。
これを受けた日本政府は、米国の対キューバ「封じ込め」政策から距離を置き、カストロ政権との国交を維持した。どうしてこのような政策を選択したのだろうか。先行研究では「キューバ糖依存」が大きな理由だと論じられてきた。当時、キューバは日本にとって最大の砂糖輸入先国であり、その砂糖資源を失うことができなかった。しかし、この「キューバ糖依存説」を一次史料で実証した研究は少ない。したがって、本研究では、日・米・キューバの外交史料を軸に、この「キューバ糖依存説」を再検討する。
報告D-2
① 沖縄の韓国人慰霊塔建設をめぐる政治力学
② 成田千尋(日本学術振興会 特別研究員PD[同志社大学])
③ 本報告の目的は、沖縄戦中に犠牲になった朝鮮人のための慰霊塔が、1975年に沖縄に建立されるまでの過程を、沖縄復帰前後の沖縄と朝鮮半島との関係の変化や、沖縄戦をめぐる沖縄社会の認識の変化との関わりから明らかにすることである。同塔については、1972 年の沖縄返還実現後、在日朝鮮人総連合会(以下朝鮮総連)の活動家を含めた調査団が沖縄で沖縄戦中の朝鮮人の被害について調査を行い、慰霊塔建設を計画したことに対抗し、韓国政府が拙速に建設したという点が韓国の先行研究において指摘されている。しかし、韓国政府の動向に対する北朝鮮政府の認識や、朝鮮総連と結びつきの強かった沖縄の革新勢力の慰霊塔建設に対する認識などは、検討対象となっていない。本報告では、現在も沖縄戦時の朝鮮人被害者の実態が明らかになっていないことを念頭に置き、上記の点も含めたより多様なアクターの動向に着目しつつ、韓国人慰霊塔建設の意味について再検討したい。
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以上