第157号【同時代史学会2023年度大会(趣旨文・全体会報告要旨)】

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                    第157号(2023年10月16日)

【同時代史学会2023年度大会(趣旨文・全体会報告要旨)】
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2023年度大会の趣旨文・全体会報告要旨をお伝えします。

12月9日(土)
会場:東京経済大学

10:00~12:00 自由論題報告(対面のみ)
12:40~13:10 総会(オンラインによる中継を予定)
13:30~17:40 全体会(オンラインによる中継を予定)
「安定化させる力学とかき消されていく声―1973年以降の水俣から考える―」
    井上ゆかり(熊本学園大学水俣学研究センター 研究員)
    原子栄一郎(東京学芸大学環境教育研究センター 教員)
    遠藤邦夫(水俣病センター相思社 元職員)
18:00~   懇親会

【趣旨文】
 本年度は1973年に水俣病第1次訴訟の熊本地裁判決が出て50年の節目にあた
る。そこで、同時代史学会では、「安定化させる力学とかき消されていく声ー
1973年以降の水俣から考えるー」と題して大会企画を組んだ。
 2002年に設立された同時代史学会では、すでに2008年に「消費からみる同時
代史」と題して、高度経済成長期の消費生活と公害問題のあり方について論じ
た。また、本年度5月に開催された歴史学研究会の現代史部会では、「社会運
動と環境・民主主義― 新自由主義時代の民衆像を求めて―」と題する企画が
組まれている。他方、1990年代から活動を続けている水俣フォーラムがこの秋
「水俣・福岡展2023」を開催したほか、今月は2013年に発足した「公害資料館
ネットワーク」のシンポジウムも予定されている。
 これらをふまえ、本企画では熊本地裁判決後の「水俣」について、被害者や
その家族のその後の「生」のリアルや地域社会の実像をていねいに拾いなが
ら、「かき消されていく声」を考察したいと考えた。その含意は以下の通りで
ある。
 ある段階で社会的に喚起されたり再喚起されたりする問題は、そのつど「安
定化」させる力学にさらされ、さまざまな現場の「声」がかき消されていく。
今日の原発問題をはじめ、戦争や震災からの「復興」といった過程にも、同様
の現象が見られるだろう。この「安定化」に関わる動きは多元的で複合的であ
る。加害企業や行政による動きもあれば、メディアや一般的な世論の動きもあ
る。地域社会内部でのさまざまな人間関係によってもそれはもたらされるだろ
う。大量消費社会や新自由主義によって痩せ細っていく公共圏の問題もある。
アカデミズムや教育現場の関与も否定できない。
 1950年代に「奇病」として顕在化した水俣病は、1959年に新日本窒素肥料株
式会社(以下チッソ)の工場排水による有機水銀中毒であることが熊本大学医
学部の研究班によって特定されたが、行政やチッソの妨害などから被害者の訴
えは封印された。1960年代後半に全国的に反公害の機運が高まるなか、1973年
の熊本地裁判決によりチッソの加害責任が確定するが、それ以後も、補償協定
をめぐる直接交渉が行われたほか、環境庁(当時)の定めた認定基準をめぐる
未認定患者の問題は現在も係争中である(9月27日 大阪地裁判決)。その
間、「水俣病関西訴訟」で国や県の行政責任が問われるなか(2013年10月15日
最高裁判決)、国家による「和解」や「救済」にむけた取り組みがある一方
で、水俣では市民同士の分断を修復する「もやい直し」の試みが1990年代以降
取り組まれてきた。
 そうしたなかで水俣のローカルな現状は、ともすると美化され神話化され
る。その傾向は、アカデミズムの良心的な研究活動にも内在しうるし、「水俣
を教える」という場面においても、無視できない傾向としてあるだろう。過去
の問題を現在の問題に直結させて考える「非歴史的思考」の陥穽もある。リア
ルな(そして歴史的な)「人間」の存在がともすれば軽視されるこれらの傾向
に対して、私たちはまず、生身で等身大の「水俣」が1973年以降も存在すると
いう当たり前の事実を再確認したいと思う。そこには、被害者同士の軋轢や葛
藤も当然含まれよう。そうしたローカルな視点を見失うことで、「安定化」さ
せる力学に対して私たちは無防備となる。今回の大会では、被害者や地域社会
の実像を美化することなく提示し、「かき消される声」や「安定化する力学」
の具体像を1973~1990年代を軸に検討したいと思う。
 そこでまず井上ゆかり氏には、「一次訴訟判決後から現在までの水俣病被害
当事者の『かき消されゆく声』」と題して、1973年以降の「かき消されていく
声」の実状を、女島の漁民やチッソ労働者の視点、また現在の胎児性世代の訴
訟や認定されない被害当事者の状況などを中心に紹介していただく。これまで
多くの患者さんに接してこられ、「人間の営みを中心とした理論形成」を志し
てこられた井上氏に、さまざまな立場をふまえた生のリアルを見据え、「安定
化」させる力学にさらされた現場の視点から問題提起していただく。
 また、原子栄一郎氏には、「水俣病を環境教育として取り上げることにおい
て、緒方正人さんを考材とすることによって何がもたらされるか? 私の大学
環境教育実践から」と題して、ご自身が経験された研究上の転回をふまえ、
「チッソは私だ」という緒方正人さんの「魂」の視点から論じてもらう。緒方
さんの視点は、加害企業や行政を免罪しかねない危険性があるものの、その視
点を抜きにした社会批判もまた表面的なものになりかねない。水俣病事件を環
境教育として取り上げるさい、その視点をいかに活かしたらよいか。ご提案い
ただければと思う。
 これら2つの報告をふまえ、患者支援団体である水俣病センター相思社の元
職員・遠藤邦夫氏には、本企画担当者である及川英二郎との「対談」を通し
て、主に「もやい直し」に至る経緯やその歴史的意義について、「集合的トラ
ウマ」の両義的側面などに着目しながら論じていただく。活動家として、また
支援者として関わってこられたご経験をふまえ、社会運動のあり方やその限界
について論点を提示していただければと思う。
 「安定化」させる力学がいまもなお作動ししつづけるなか、水俣が発信する
問いは何か、それはどのようにして受け止められるべきか。「水俣」を論ずる
さい、「公害」一般のなかでそれを普遍的に思考する視点とともに、その固有
性を注視し、個々の「人間」に立脚点を見出しながら、「公害」だけではない
他の諸問題とリンクさせて思考する視点が同時に求められよう。これら2つの
視点は、せめぎ合い、かつ共存することで、より生産的な知見が得られるはず
である。フロアからの積極的な参加を期待したい。

報告1:井上ゆかり(熊本学園大学水俣学研究センター)
「一次訴訟判決後から現在までの水俣病被害当事者の『かき消されゆく声』」
 1973年の水俣病第一次訴訟判決から今年50年を迎えた。この判決では加害責
任と一時金の賠償命令のみであったため、患者がチッソと直接交渉し現在の補
償協定内容になった。翌年には認定申請患者協議会が結成され、いわゆる未認
定患者総申請運動が始まり、係争課題は加害責任追及から水俣病かどうかに変
わっていった。こうしたなかで幾度も被害当事者は声を上げ続け勝訴し、結果
として国は1996年の水俣病総合対策医療事業から2005年、2009年と3度「チッ
ソとの紛争状態の終結」として「行政責任は今後追及しない」ことを条件に和
解施策をとってきた。しかし、この和解は必ずしも被害当事者側が望んだ形で
はなかった。
 2023年9月27日に水俣病不知火患者会近畿訴訟大阪地裁判決で原告全員を水
俣病と認める司法判断が下された。同訴訟の熊本や東京での判決も控え、さら
には第二世代訴訟、また新潟の二次訴訟も続いている。事態が長期化するの
は、 訴訟で原告が勝訴すれば潜在していた被害当事者が新たな認定申請者と
して増加するという状況が50年も続き、その反面、地元ではこれまでの和解が
「水俣病ではないのに一時金を貰っている」という地域内での差別を生み出
し、申請が抑制されていたからにほかならない。
 一方、水俣市議会の議会運営委員会は2019年に水俣病問題を審議する「公害
環境対策特別委員会」の名称から「公害」を外す議案を可決し、2023年百間排
水口の樋門撤去工事が突如発覚し被害者団体の抗議行動が起こった。水俣市長
は「ここまで注目されるという認識はなかった。」と地元新聞の取材に答えて
いる。 権力が公害への強い圧力を示す水俣において、被害当事者が声を上げ
続けることは、その声をかき消そうとする圧力との闘いでもあった。一次訴訟
原告は「人間としての復権」、いまの第二世代訴訟原告は「胎児性世代、不知
火海沿岸住民を代表する闘い」だと表現する。
 この報告では、故原田正純らと地域に入り調査研究をすすめてきた経験を踏
まえ、漁民やチッソ労働者らの現状と「かき消す」力とは何か、さらに研究者
としての中立とは何か考えてみたい。
参考:井上ゆかり『生き続ける水俣病:漁村の社会学・医学的実証研究』(藤
原書店、2020年)

報告2 原子栄一郎(東京学芸大学環境教育研究センター)
「水俣病を環境教育として取り上げることにおいて、緒方正人さんを考材とす
 ることによって何がもたらされるか? 私の大学環境教育実践から」
 現代環境教育の世界標準は、ESD(持続可能な開発のための教育)である。
その根本課題は、「持続不可能な社会を支えている教育を考え直し、その向き
を変えること」である。環境教育を担う者にとって、これは避けて通ることが
できない課題である。
 報告では、私の大学環境教育実践の試みを紹介する。実践では、教育にかか
わる一人ひとりが自分を棚上げにしないで、自分のこととして根本課題を受け
止め、<この私>はどこから来たのか、<この私>は何者か、<この私>はど
こへ行くのかを、自分を振り返り、よく吟味し考えてみることを基本方針とし
ている。このもとに、持続不可能な社会を象徴する水俣病を取り上げて、「一
人の人間」として、いろいろな立場から水俣病に深く長くかかわった人(た
ち)に着目し、その人(たち)に関する文字資料を読み、映像資料がある場合
には視聴して、その過程で<この私>は何をどのように感じたり、思ったり、
考えたりしたか、自分の心の消息を綴り、クラスメートと共有し議論するワー
クを行っている。
 緒方正人さんは、このシリーズ「水俣病から考える」ワークの中で扱う「一
人の人間」である。
 報告では、大学環境教育実践の概要を紹介した後、緒方さんの「魂のゆく
え」(栗原彬編『証言 水俣病』岩波書店、2000年)をテキストにして彼の来
歴をたどる。その際、来歴の中に見て取ることができる「転生」と呼びうるよ
うな生の質的転換、特に「魂」の境地への到達と、それを引き起こした出来事
や事情に注目する。その上で、2000年代半ばに研究上の「自己分裂」を引き起
こしていた私に与えたインパクトを含め、水俣病を手掛かりにして現代環境教
育の根本課題に取り組むことにおいて、緒方さんを考材とすることによって何
がもたらされるか、現代環境教育の根本課題、人間として生きる、水俣病のと
らえ方、環境教育のパラダイムなどとのかかわりでお話ししたいと思う。
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